阪神淡路大震災

あれから18年も経ったんですね。

当時、私は大阪に住んでいましたが、私の住んでいた辺りはあまり被害はありませんでした。それでも周りに色んなエピソードがありました。

今日も美容院で兵庫県出身のご主人とお話してました。



あれから18年。

震災は私が語れるようなものではありませんが、この日が来ると一緒に思い出すのが…



2年前の2号の足の手術。

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術後の痛みと闘い、泣き叫ぶ2号。

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痛み止めを使うか待つかの判断、看護師さんによっても考え方が違って、伝わらない苦しさや、悔しい思い。

その横で叫ぶ2号。痛みからいろんな言葉が出ました。



「幼稚園行きたいのに~!」

「お家にかえりたい!パパやくうちゃんに会いたいよ~」

「病院なんか嫌だ~」

「手術なんかしたくなかった~!」



普段はあまりマイナスの言葉を吐かない2号。

吐いてはいけない。そう思っているのかもしれません。

私がそう思わせているのかもしれません。



手術も話して自分で受けると決めました。

でも、きっとそう私が誘導してるのだと思います。



だから、なかなかきかない本音の言葉を初めてしっかり聞いて、哀しく、せつなくて。

2号に言い聞かせながら病室のベッドで声を殺して泣きました。



そんな色んな思いの中、阪神淡路大震災のニュースが流れていました。



余計に悲しくなったり、励まされたり。状況は全く違うのに何か共通する心を感じました。



この日が来ると、私はあの気持ちを思い出します。
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五体満足で産んであげれたら、こんな苦しまずに済んだのに。胸が締め付けられました。

でも、私は「健康に産んであげれなくてごめんね」と思ったことはありません。



勝手な私の意見かもしれないけれど。

私もパパも、もちろん2号も何にも悪いことをした訳ではないのです。



2号が原因不明の病気で産まれてきたこと。

最初は私たちに課せられた罰だと思いました。

「何を悪い事したんだろう?仏事だって、ちゃんとやってきたはずなのに」

そう思いました。

色んなHPを見ては、毎日泣き崩れていました。



でも、そんな中でなぜ立ち直れたか。

それは、私たちは選ばれた

そう考えることができたからです。



子供は親を選んで産まれてくる。

そうかもしれないと思えます。



私は彼女にいろんなことを教わり、母として、人間として、

少し成長できたのではないかと思います。

心が豊かになったのではないかと思います。

一生懸命に頑張ることを教えてもらいました。

だいぶ親バカも入ってますけどねにひひ
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いろんな苦しいポイントがいっぱいありましたが、

全て良い経験となり、良い思い出です。



まだまだ悩みはいっぱいですが、

彼女と共に、私ももっと成長していきたいと思います。