【自分の中からの声】
無事手首の手術を終え、
ギブスがやっと取れたというのに
右手首から先は
動かなかった。
病院の先生から、
なぜ麻痺しているのかわからない
と言われて
どーする??
と不安になった。
腫れが1ヶ月たっても
ひかなかった。
毎日毎日、
固まっている指をほぐし
固まっている手首をほぐし
とにかく触るようにした。
でも
全く動く兆しはない。
病院のリハビリにも
通っていた。
私の担当の先生は
若い男性の先生だった。
「今、しっかり動かしておかないと!
固まってしまったらいけないので。」
リハビリは痛かった。
でも、
"仕方ない"
"そういうものなのだ"
"そうしないと
固まってしまったら大変!"
だと思っていた。
でも、ある日
あまりの痛さに腹の奥から
もうやめてくれー‼️
という叫びのような
声が聴こえてきた気がしたと思ったら
「やめてください‼️」
と、声に出している自分がいた。
先生がびっくりして手を止めた。
人に、それは嫌だ‼️
とか
それは違うと思う‼️
とか
人生の中で言えないできた私だった。
親や、先生や、先輩、
自分より目上の人、
立場が上の人には特にだ。
今回も
専門の方に治療してもらっているのに
言える立場ではない。
でも、あまりの痛さに
涙がでてきて
気づけば、
自分の思いを先生に訴えていた。
自分の身体が
痛い❗️やめて❗️って言ってるのに
そこを無理やり動かそうとして
いいはずがない。
痛さは怖さになって
ぎゅっと固くなる。
今よりもっと動くわけない…
そんな自分の思いを話したら
先生は、真剣にきいてくださった。
これは
すごーく
大きなことだった。
どうせ
こういう考えの人は
こういう世界の人は
こういう立場の人は
人のはなしはきかないだろう…
そんな思い込みが
ずーーっと人生の中であった。
これが
耐えられない痛みでなかったら
また
我慢して自分の中に
閉じ込めていたかもしれない。
私には
あの出来事が
必要だったのだ。
と、今は思える。
それからは
ここまで動かしたら痛いか?
大丈夫か?
もう少しだけ曲げてみよう
コミュニケーションをとりながらの
リハビリができるようになった。
信頼関係は
そんなところから始まる。
先生との信頼関係
だけではない。
私と私のからだとの
信頼関係は
その時から始まった
ような気がする。

