今でこそエネルギー

という言葉も

あたりまえのように

使われる


20年前は

"エネルギーのある水"

なんて言うと

"怪しい"と

言われた。


私は

エネルギーというものを

わかっていたわけでもない。

かといって

疑っていたわけでもない。


この時

私が信じたのは

物でも、

作った会社でもなく


彼女という人だった。



いいと聴いたものを

徹底的に試してみて

そのよさを実感したら


友達に教えてあげないと✨

と思うらしい


どう思われるかなど

まるで考えずに

無心に行動できる彼女を

私はいつもすごいと思っていた。


彼女がいいと思うものに

必要、不必要はあるとしても

悪いものはない

と思っていた。


とくに健康に関しては。


なすびのヘタで

歯を磨いているような人だった。


次男がよく中耳炎を起こしていると


「雪の下の汁をしぼって

耳にいれたら止まるよ」


と、言って雪の下の苗を

わけてくれるような人だった。

うちの裏庭には、

彼女にもらった雪の下が

今も植っている。



そしてもうひとつ

私が信じたものがあった。

それは


"自分"だった。


何かもっと

誰もができる簡単な

健康になるためのものがあるはず

そう思って探していた

私の中に

彼女から 

いい水があるよ、と聴いた時


"これだ!"と


ピンとくる感じをつかんだ


そして行動した。



今思うと、

こんな小さなひとつひとつが

自分の中の自分の関係性を

積み重ねていったのだと思える。