子どもがまだ小さい時だったかな。

『いつか、自分のことが大好きと思えるようになって、
この世に自分を生んでくれたことを
両親に心から感謝できる自分になりたい。
両親が生きてる間にそのことを伝えたい。』

そう思ったことがあった。

その頃の私は、そこからは全くかけ離れていて…
真逆のところにいた。

自分の事を大好きなんていう友達を
みて、気持ち悪い人だと思っていたくらい。

子育てがうまくいかないことも 
自己肯定感が低いことも
全部母親の育て方のせいにして
母親のきつい性格のせいにして
だから、どうすることもできないんだと
毎日イライラして生きていた。

そんな私なのに、

自分のことを大好きになりたい。
両親に心から感謝できる自分になりたい、って

なぜだか、あの時思ったんだ。

なんでだろう…

あるきっかけがあって、そう思うように
かわっていったというより、

あるきっかけが、私の中にあったものを
よびおこしてくれた、
そんな感じがする。

あの時の、あの瞬間がなかったら、
今もあのままの現実を生きていたのだろうか…

それから何年かしたある日、
運転中にこんなことがあった。

突然、"お母さんのせいじゃない"

そんな思いがでてきた。

つぎの瞬間、全部自分が決めたことだ、とわかって…
お腹の中から、

ごめんなさい と、 ありがとう

が、ほとんど同時のように溢れてきた。
何がどうなってこうなっているのか
全くわからなかったけれど…
あふれてくる涙で前がみえなくなるから、車を止めて
おいおいと泣いた。

そして、次の瞬間には
お母さんを責めていた気持ちを
思い出そうとしても、もう思い出すこともできなくくらい、私の中からなくなってしまったいた。

そのあとの誕生日、両親に初めて手紙を書いた。
その時の自分に最大限に素直になって
"ありがとう"を伝えたかった。

そのあと、母からもらったお返しの手紙は、今でも大切においてある。

厳しくて強くて怖かった、
鬼かと思うくらい。
優しくてあったかーいお母さん、
というイメージなんて微塵もなかった
母の文面からは、
愛情があふれていて…
読みながら涙がとまらなかったことを
覚えてる。

今になってみて思う。
言葉や行動やみえてる部分なんて
その人の一部にしかすぎない、
そのことを私に一番教えてくれたのは
母なのかもしれない。

今の母は施設にいて会えないので、
父にありがとうのLINEを送った。

"ぼちぼち誕生日だと思ってたよ。
おいしいものでも食べにいこう'
と返信。
でも、最近さらに忘れっぽい90歳の
父は、今日にはもう忘れている。^^;
忘れててもいい。

私にとっては、この世に生をうけた日。
両親に、ご先祖さまに、多くのいのちの繋がりに感謝をいつもよりも思い出させてもらえるありがたい日でした。