毎年1月3日の恒例〜ぜんざいマラソン❣️
2キロ、5キロ、10キロと選べ、当日参加🆗なので
気楽に参加できる。
走り終わったらおぜんざいを頂けるので、
いつしかぜんざいマラソンと呼んでいます。
今年はいつもと開催場所が遠方に変わったので
やめておくつもりでゆっくり起きた朝。。。
友達からの連絡で突然いくことに!
猛ダッシュで用意。
スタートに何とか間に合ったのは
最後の2キロマラソン✨
昨年のぜんざいマラソン以来、1年ほとんど走ってない今の私には2キロも危ういかも。。。
と思って周りをみると、
親に連れられた小さい子どもがいっぱい〜✨✨✨
スタート前からやる気にみなぎって、ワクワクしてるのが、みててわかる。
子どもって、走るのが好きなのかなw
スタートした途端、
もうダッシュする子
「最初からスピードだしたらあかん!」
と、お母さんに怒られながらセーブして
走る子
いやだいやだと、泣きながらも手をひっぱられて仕方なく走る子
普通に楽しそうにマイペースで走ってる子
色々な子どもがいてて、みていて面白い😆
みんなが普通に前を向いて走っているのをみていて、
なぜかふと次男の小さい時のことを思い出した。
もしここに昔の次男がいたら、
まず、普通に走っていないだろう…
きっと何か小さなことが気に入らなくて、
ひっくり返って泣いて、ずーっと泣いて、
大声で泣き続けて、
そのうちみんなが帰ってきて
大会は終わっていただろうなーー。
そんな次男をみながら、
なんで他の子は走ってるのに
ただ普通に、一緒に走ることができないの?
と、責めたくなったり
1年のスタートなのに、
せっかく来たのに
と腹たったり
ガッカリしたりしていたであろう自分を
想像する。
何年も何年も
みんなと同じような流れではいかないこと
私が思うようには全くいかないこと
色々な場面で
次男を通して繰り返し繰り返し
これでもか、と経験しているうちに
やっとある時わかったことがあった。
次男がみんなと同じように、
世間の普通のように
できないことが問題なのではなくて
みんなと同じようにできないことを
あかん、と思う私の中に問題はあったこと。
そのことが、私の中で腑に落ちるまで
気づいたら
15年くらいの月日がたっていた。
その間、ずっとずっと
私は次男を、できない人として
私の中で否定し責め続けていたのだ。
と、同時に思っていた。
この子がどうであれ、そこに何も思いをかぶせずに
平常心でいれる自分になりたい。
そのままの次男をそうかそうかと
ただ見守れる自分になりたいって。
でも、それができない未熟な自分がいつもいつも
苦しくて仕方なかった。
そんなある日、腹の奥から
ごめんなさい
と
ありがとう
が同時にわきあがってくることがあった。
それは一瞬のことだった。
胸の奥なのか、腹の奥なのか、
どこだかわからないけれど、奥深いところで
なんともいえない
あったかさとありがたさを感じたことを
今でも身体のどこかで覚えてる。
私には、本当にそのことが腑に落ちるまで
それだけの長い時間が必要だった。
それくらい、思い込みの強い、頑固でどうしようもない私だったのだ。
今、いろいろな子どもたちをみて
みんな面白いなー可愛いなーと思えるのも
そんなことを今朝の子どもたちの姿から
思い出させてもらっていました。
いつもまわりから見せられることばかり。
ありがとうございます✨
皆さま、今年もよろしくお願いします。😊
