久しぶりに離れて暮らしている次男が
帰ってきていて、2人で話す時間がありました。

「自己肯定感って生きていくのにすごい大切だな〜と最近、より感じるわー」

と私が言うと

「よかったー✨
俺めちゃ自己肯定感高いで。」と次男。

次男は、3人の子どもの中で特に私にとって小さいときからやりにくく、手がかかった子です。
いつもマイペース。
性格的にも嫌と言ったらきかなくて、どこでもひっくり返って泣く、しかも大声で、何時間でも。
そこに持病の喘息の発作も加わると、大変なことに。
学校では遅刻続き、
好きな野球も怪我から途中でできなくなり、
高校の頃には不登校。
大学は何年も浪人を繰り返し…

客観的にみたら、人と比べて同じようにできなかったことだらけで、
自分なんて…と思えることがたくさん
あっただろうなーと思うのに、
そういえば、自分なんか…という発言を一度もしたことがないのです。

「なんでそんな自己肯定感高くいられたん?」

と聞いたら

「俺が自己肯定感高くいられたんは、
お母さんの育て方がよかったんやと
思うわ」と言うのです。

びっくりしたのは私でした。
絶対ありえません。
3歳〜17歳までの間、でかい泣き声にイライラして感情的に怒りまくり、
日常私の言うことは全くきかないことに怒りまくり、
最後には学校にもいかない毎日に、
元気なのにゴロゴロしてるのが許せなくて、毎日毎日怒り狂っていた私しかでてきません。

ある時

(あー全て私だった)

と気づかせてもらえる時までの私は、
私の中に子どもの時から
おさえてあった全ての感情が
息子をとおしてひきだされ、
ジャッジにコントロールに攻撃に気ままに被害者、全て息子に対してぶつけていた、ひどい母親だったとしかいいようがありません。

そのどこをみて育て方のおかげだというのでしょう?

もう一度、何か勘違いしてないか聞いてみたら

「お母さんは怒ってたで。
でも、事柄に怒ってただけで、
一度も僕自身のことを否定したことがなかってん。
だから僕は、自分のことを好きでいられたんや」

そう言うのです。
この言葉はそのあとからも、思い出すにつれて、ありがたさが増してきました。
褒められたとかいうことでは全くありません。
私は何にも意識してなくて、
ただただイライラして怒っていた。
でも、もしその自分を見失っていた時でさえ、息子自身をダメな人間だとみるような思いを含めて言葉を発することが
なかったとしたら…

それは守ってもらったんだなーとしかいいようがないのです。

息子に、自分を否定してるわけじゃないという思い方をさせてくれて、自分を好きでいさせてもらえたこと、

こんなありがたいことがあるでしょうか。

私は、子ども時に母の言葉から、自分をダメだと思ってしまい、 自分を嫌いになって、
いつか生きてる間に
自分のことが大好きになりたいと思って
何十年も生きてきたから。

へそ道のワークショップでふーちゃんが話してくれてた、

" 叶ってる夢に感謝して喜ぶ "

ということを思ったときに、一番にでてきたのが、
自分のことが大好きになりたいという
願いが叶ってることでした。
そのことへの感謝を毎日感じていたら、
次男から、こんな言葉をきかせてもらい、
全然ダメダメだった私が育てる中でも、必ずいいふうになっていくように見守ってきてもらえていたんだなーと
御親の思いを感じて
たまらない気持ちになりました。

子どもたちが
「自分のことを大好きで育っていってほしい」
ずっと前にそう願っていたことも思い出され、それが叶ってることに、
また感謝だなーと思いました。

長くなってしまいました。
ありがとうございます。