コロナの影響で、会えなかった母と久しぶりに
面会が許された時間。
3か月ぶりに会う母は、以前よりやせてすっきりして、元気そうで安心しました。
僅か15分の面会。
持って行っていたお菓子を食べた母に喉が渇くだろうと、父が買ってきたお茶を飲んだ母がひと言。
「おいしないわーーこれ💦」
父がわざわざ買ってきたお茶です。
そんなことおかまいなし。
「こんなん飲まれへんわ」
と、ほんとに嫌そうに一口飲んだだけ。
きっと以前の私なら、
せっかく買ってきたのに、その言い方はないでしょうーと、父をかばうような言葉を言ったり、
「お茶がのめるだけありがたいよねー」
と、言ったりしていたかもしれません。
その時の私には、そんな言葉は頭をよぎることもなく、
誰に気も使うこともなく、思ったことをストレートに口にしてる母が面白いな〜と思いながら見ていました。
父は、不機嫌になることもなく、ニコニコわらって
るのです。
そして、言いました。
「そんなお茶でも、山歩いてて飲んだら
美味しいよ」と。
そして、母は言いました。
「そうなんやねーー」
不思議な会話の流れでした。
そして、また、思い出したかのように、父に怒り出しました。
「いっつも、さっささっさと歩いて、ほんまにいややったわ。
ゆっくりしたペースが私はいいの。
いつもさっさといってしまって、ほんとにいやなおやじやったわ❗️」
そういえば、買い物にいっても、お茶の一杯も飲もうともしないで、用事をすませてすぐ帰ろうとする父のことを、嫌だとよく言ってたことを思い出しました。
父の仕事を手伝って83歳まで働いていた母は、
父にずーっとこきつかわれたと、よくぼやいていました。
それでも、何十年も母はあまり文句言わず、
父をたてて、やってきていました。
物忘れひどくなっても、覚えてるんですね。
昔の母には、言えなかったことが、今は余計なことを気にせずに、そのまま言葉にできてる。
よかったって思いました。
ずーっと、いつもシャキシャキして、母のきめた枠の中できちん生きていて、人をもそこにはめようとして口うるさい人だと思ってきた母は、
もしかしたら…
自由に生きるのが人一倍好きな人だったのかもしれないな…ふと、そんな気がしました。
私が思ってきていたことは、実は全く逆だったのかもしれません。
本当はこう生きたいのに、何がが邪魔して、そう生きれなかった…
今は父のせいにしかできないけれど、本当は
そう決めたのも、できなかったのも自分だってわかってるのだろうなー。
母だけでなく、そういう思いをもったままの人はたくさんいてるのかもしれない、と思うと
こうして、今、母という人を通してみせてもらえてること…
母の奥にあるものが、本当に伝えようとしてくれてること…
その事をしっかり感じ、受けとって、
行動にしていこうって思います。
今日もありがとうございます♡
