$橋口いくよオフィシャルブログ「Mahalo Air」Powered by Ameba


昨日は

小沢健二ライブでした。

学生時代からの友達と

行く約束をして

お昼から集合して

まずは、


私たち大人になったよね!


ってことで

学生時代には食べられなかった

アフタヌーンティーを

ゆっくり楽しんでから出発。


取れたチケットは

まさかの15列目のど真ん中。


私も友達も

そんなに目は悪くないから

充分に裸眼で見えるだろうに

それでも

ふだんはかけないメガネを

かけたりして、

何もかも見逃すまい

聞き逃すまいと

張り切って向かったのです。


前にここで

オザケンのライブに行くよーって

書いた時

たくさんの方から

私も行きます! とか

私のぶんも絶対楽しんで来て! とか

メッセージをいただいたので

今日は、

じっくり感想を書きたいと思います。



そう!
まず感想を書く前に、どうしても言っておきたいことがひとつだけ。

これから行かれる方!
リサイタルにだけはどうか気をつけて!

それで私はちょっとというか、かなり残念な思いをしたので、
どうしても言いたい!

とにかく、あの曲もこの曲もくりひろげられるため、
13年も待っていて、気持ちが高ぶってしまい
空き地ジャイアン級の熱唱してしまいがちな方がいるのです。

なんとなく口ずさむとかはもちろんいいと思うんだけれど、
熱唱は、とくに男性の熱唱は席が近いと、
小沢健二本人の歌声にどんどんかぶり、
なぜか13年ぶりに知らない人の熱唱を
えんえん聞かされてしまうことに!

もちろん! もちろん!
歌っていい時間は、王子がたっぷり用意してくれているので、
熱唱やリサイタルはどうかそこで。

私は後ろの席の男性が、あまりにも熱唱で
あまりにも大きな声のリサイタルで、
テンション的に言えば、オザケン風を超え
水木一郎さんの「Z————————ッ!」
みたいな感じで、
さすがに2曲目に入った時、

ごめんなさいっ。
もう少し小さな声で…お願いします。
すみませんっ! すみません!

と…勇気を出して懇願しました。
その方はすぐにやめてくださったので、ありがたかったです。

きっと気持ちが高まっていて、すごくすごく嬉しかっただろうに
なんだか申し訳ない気持ちになり、終わった後声をかけてお礼を言ったら、
ライブ良かったよねって笑顔でお互い笑いあえて
正直にお願いして良かったです。

ということで、リサイタルにだけはどうかどうか、気をつけて!
歌う時は、口ずさむ程度がいいかと。
感じで言えば、音楽番組の画面はじっこの四角に芸能人がうつる時の
口の動きぐらいの感じが適切な気がします。


さて、感想。
ここからはネタバレ的な部分もあるかもしれないので
これから行かれる方で、情報を入れたくない方、純粋に楽しまれたい方は
ライブに行かれてから読みに来てくださいね!
読みたい方は、少しのスクロールをば、よろしくお願いします!









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中野サンプラザの公演は2日間で、私はその2日目に行きました。
なんと前日に、だいぶ回復された岡崎京子さんが行かれていたらしく、
ステージ上からオザケンが
「岡崎京子が来てます」って泣きながら言っていたと聞いて、
しかもその時岡崎さんはボーダーにベレーの完全なる正装をされていたそうで
それだけでもう胸がいっぱいで、
なんだかもう充分っていう気持ちにすらなりそうでした。

そんな気持ちのまま中野サンプラザへ。
1曲目『流れ星ビバップ』

声は聞こえるのに、1曲ずっと真っ暗! 
暗闇! 何にも見えない!

隣にいる友達もステージも前の人も自分の手も何にも見えない!
暗いせいで最初どんどんどんどん不安になって
でもだんだん、小沢健二の歌声だけがたよりになって
気づけば、それがまるで明かりのかわりになっていました。

そう、ここ!
ここでまわりの席のリサイタルがあると、本当に悲しい思いをするのです。
私は後ろの席の方のリサイタルを脳内で除きながら聞かなければならず
それでもところどころどうしても自動的にリサイタルの声を拾ってしまい、
もう帰ってこないあの瞬間の『流れ星ビバップ』が悲しいです。

とはいえ、
やっぱり暗闇での歌は色んな意味で一生忘れないと思います。

あの暗闇があって良かった。
そうでなければ、始まった瞬間、わーーーーっと気持ちが高ぶって
この日をずっと待っていたから嬉しいのか、会場の雰囲気に酔っているのか、
自分に酔っているのか、なんだかわからなくなって
きっと泣いちゃったりなんかして、その間違えたテンションで、
最初から最後まで押し切ってしまっていたかもしれない。

チケットが取れた段階からそういう楽しみ方をしようとしていた自分が
確かにいて、そんな間違いを犯さずにすんで本当に良かった。

最高の形でその時間への心を静かに開かせてくれたオザケンのおかげで、
もう暗闇がなくても、すべての曲を大切に大切に聴くことができました。

私にとって音楽って、自分の中でどんどん変化して行くもので、
特に小沢健二の音楽は、今を記録する空間のような、
まるでアカシックレコードみたいなものになっていて、
それは思い出なんてゆるいものではなく、
あらゆる曲にあらゆる自分がリアルにいるんだけれど、
そこにまた今日のことも記録された。
それはライブに向かう前のアフタヌーンティーや
後ろの席の人のリサイタルですら包み込んで
ほんとうにこれって「永遠」。

結局、
小沢健二はどこへ行った?…と
この13年間みんなが思っている間もその「永遠」は存在し続けて
ただただまた今日がやってきただけなんだと思うと、
胸のあたりに手を当てて、祈るような気持ちになりました。

最後にオザケンが
「みんながいなければこの歌たちは生まれなかった」というようなことを
泣きながら、まさかあのオザケンが泣きながら言っていて、
きっと10年位前の私がそこにいたら、
泣いてる王子のその姿にただもらい泣きしたりしてたと思うけど、
そんなやぼなことにはならなかった。
声はやさしかったけれど小沢健二のその言葉の太さというか強さに、
なんかわからないけど、

やっとなんとか私、ここまでたどり着いた…おし! 行こう! 

と、拳を握り、ヤクザ映画を見た後のように、堂々と会場を後にしました。

そして、
帰りにすごく月がきれいで、
ここでだけは自分に酔っていいよねと、
空を見上げてからお家に帰ったのでした。


以上、
最終的にかなり個人的なライブレポート。