異動で気づけたこと | HSP母ちゃんの徒然日記

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HSPの母ちゃんが日々のあれこれ感じたことや気づいたことを書いてます。

フリーとして5年担任として一年お世話になった今の保育園を離れることになった。

自分で異動を希望し、それが叶う形となった。
今年度を振り返ると、無理からのスタートだった。
まず昨年3月にアキレス腱断裂をして休職を余儀なくされ、復帰にあたり希望した部署は一歳。
そこには短時間勤務をする私の働く時間に辛辣な意見をしてきた主任のU先生がいた。
復帰にあたり、私は8時半からの勤務を希望していたが叶わず8時からとなり、それを受け入れ、怪我の完治後は6時間の時差勤務を嫌だったが受け入れた。

条件を出して、また辛辣なことを言われたり揉めるのが嫌だったのだ。

結果、私は今年度コロナ、インフルエンザ、喘息にかかり、喘息は今も薬を飲みながら働いている。

原因は、あまりにも自分に我慢をさせたからだと分かっている。
U先生が苦手で相性も良くないのに、仕事面で認めてもらえるように、とかうまくやろうとするのが苦しかった。
私は明らかに彼女には本音で話すことができなかった。

唯一彼女にやっと本音で話せたと感じたのは異動が決まり、あと2日の頃、『なぜ異動を希望したか』と聞かれ、当初は『近いから』とだけ話していたのだが、改めて『時差勤務がきつかったんだ』と言えた時だった。
言った後ザワザワしたが、本音は人を傷つけないと思うことにした。
それに対して彼女も『私も固定勤務にみんなしたらいいと思う』と言っていたが、『そうしたらしたで、固定勤務が嫌という人がでる』と言っていた。
でも、試す価値はあるよなーと思い、そう伝えた。
勤務を組む本人に『時差勤務がきつかった』と伝えるのは勇気がいることだったが、言ってよかったと今では思っている。
また、来年度の準備を最終日の朝の隙間時間にお願いしてきたH先生には丁重にお断りした。私は最後の保育を楽しみたかったし、その日その仕事をする予定の先生がいたから。
ちゃんと断れたことはなんだか最後のテストのように感じたからクリアできて良かった。その先生にも断れず嫌な思いをしたことがあったから。当たり前だが断って良かったのだ。逆にどうしてもやりたいならH先生どうぞ、と伝えたら彼女はやらなかった笑笑そんなもんだよね。

私は晴れて固定時間勤務の部署に念願叶い異動となった。
そうなって初めて、スッキリしている自分に気づけた。
誰かに期待される通りの自分でいなくても、私は自分の希望通りに動いていい、という当たり前のことを叶えることができたことが嬉しい。
誰かを喜ばせることと、不本意に押しつけられることは全くの別物で、自分が嫌だと感じることや無理することや本音を言わないことを時間はかかったがやめることができて嬉しい。
そして、いつでも自分の希望することが誰かにとって不都合なことでも、ちゃんと自分の都合を通してよかったのだと実感できた。

ベースが我慢をしていると、我慢せずに生きている人がズルく感じてしまう。そうならないためにも、もっと自分に都合良く生きたいと思う。平たく言うなら、もっとズルく生きたい。


嫌なことは上手に断って得意なことで貢献していくことが生きやすくなるために自分に必要だと思う。前向きにサボることも苦手だけどしたい。
あと、複数人のチームの仕事の楽しさも感じたけど同時に同調圧力や気を使う人など仕事以外にアンテナを張らざるを得ないこともあったから、4月から離れにあるリフレッシュ保育の担当になりちょっとホッとしている。
少人数なのだが、私以外の先生は元園長先生やベテランの先生なので、なんでも聞いて覚えていこうと思える。ある意味で私以外経験者なので、きちんと敬語で節度ある関係になりそうなのが嬉しい。
半分仲良しみたいな近すぎる関係よりも今の私にはその方が心地よい。オンオフの切り替えがうまくできそうだから。
また学ばせていただくというのが新鮮で嬉しいのだ。また役割も明確でやることが決まっており、事務は担当制であるが交代だし、行事や書類などのイレギュラーがないのも低刺激で良い。
まだ初出勤はしていないが何より自分で選べたことがしみじみ嬉しい。
そして改めて固定時間勤務なのが心底ありがたい。
きっと私の体調も良くなっていくような気がする。
どれだけこの働き方を望んでいたかが、叶ってみて実感できた。めちゃくちゃ嬉しいから。
働き方が安定することでオンオフをきっちり分けて、家のことや息子のこともゆとりを持ってしたいしプライベートも充実させたい。

それが私の本当に望む働き方だ。きっと、その反対を経験しなければ強く望むこともなかったのかもしれない。