池袋母子死亡事故の被疑者が書類送検された。
それに関して、いまだに、
「なぜ逮捕じゃないんだ?!」
「なぜただ書類送検するだけなんだ?!」
とか、言われている感じです。
この件については前々回の記事で色々と書きました。
逮捕は例外で、不拘束が原則であるということを述べました。
↑ぜひご一読ください!
再言になることも多々あるかもですが、もう一息つらつらと。
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まず「なぜ逮捕じゃないんだ?!」という意見について。
これは、先ほど挙げましたリンクから過去記事を読んで頂ければ書いてありますので、是非ご一読ください。
とにかく身体拘束は例外であり、不拘束が原則であるということ。
逮捕するには要件があり、それを充たさない限り逮捕はできないということ。
それをご理解頂ければと思います。
思うに、本件の被疑者を逮捕しないことに対しては激怒されるのに、京アニの被疑者が逮捕されないことについては何も言わない方も多いように感じます。
それは何故なのでしょうか?
実は、本件の被疑者の場合も、京アニの被疑者の場合も、理屈は同じなのです。
つまり、両者ともに「逮捕の必要性と許容性が認められないので逮捕できない」という点で、同じことなのです。
詳しくは上のリンクの記事を読んで頂きたいのですが、簡単に言えば、①逃亡のおそれと②罪証隠滅のおそれがない場合には、逮捕は認められません。
翻って両者について考えてみるに、本件被疑者は88歳と高齢であり両足が悪いこと。また、経歴を見ても、殊に社会的責任を要する要職であったこと、そしてそれ故に、身元が明らかであること、また、主な証拠物件を押さえることが容易であったこと等々。
このような事情により、逮捕の要件である①逃亡のおそれと②罪証隠滅のおそれが存しないと判断された訳です。
従って逮捕は不可、身柄拘束は不可、ということになった訳です。
対して京アニの被疑者の場合。
この被疑者は全身に大やけどを負っており、全く身動きできない状態で入院状態にあること、それ故に、①逃亡のおそれも②罪証隠滅のおそれもないと考えられることはすぐに理解できるかと思われます。
従って、両者とも、①逃亡のおそれがないこと②罪証隠滅のおそれがないこと、が共通しており、それ故に両者とも逮捕する必要性と許容性が認められなかった、ということになります。
本件の被疑者に対しては「逮捕しろ!」で、京アニの被疑者には特に何も言わないのであれば、それは自己矛盾をおかしています。
京アニの被疑者については特に何も言わないのであれば、それは本件の被疑者に対しても何も言うことはできないはずなのです。
何故なら、逮捕できないのは両者とも全く同じ理屈からのことなのですから。
ということで、「なぜ逮捕しないのか?!」についての説明でした。
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そして次に気になるのは、逮捕や、それに続く勾留を、あたかも処罰の一環と考えておられる方が多いのではないか、ということです。
逮捕も、逮捕に基づく勾留も、処罰ではないということは当然中の当然の事柄です。
刑罰とは、裁判所で出た確定判決の主文に記された事柄のみです。
「被告人を懲役○年処す」とかいったものです。
裁判が確定するまでは、被疑者・被告人には無罪推定が及びます。
これも常識です。
従って、逮捕されようと、留置所に入ろうと、拘置所に入ろうと、不拘束のまま娑婆にいようと、それらの人にはみな同じく無罪推定が及びます。
言ってしまえば「一般私人」であるのです。
もっと言ってしまえば、逮捕、そしてそれに続く勾留は、
「あなたは①逃亡のおそれがあり②罪証隠滅のおそれがあると判断されたので、申し訳ないけど例外的に逮捕させてね、そして更に申し訳ないけれど、その必要性と許容性の観点からみて許容される最低限の身柄拘束をさせてね」
という状況なのです。
確定判決が下るまで、その人は「一般私人」と言えるのです。
実際、逮捕されて留置所に入った場合、中では警察官の涙ぐましい努力が見られるのです。
例えば、食事。
当然ですが三食出されます。
基本的にはお弁当が出るのですが、そのお弁当に併せて「醤油」と「ソース」が出てきます。
「好きな方かけや~」ということです。
それどころか、そのお弁当が嫌ならば、自費で外の食べ物を購入できます。
しかも、それを外のお店まで買いに行くのは警察官です。
「留置所の弁当まずいからいらんわ~!ほか弁たのんまーす!」と言ったら、預けてあるその被疑者のお金を持って警察官が店まで買いに行くのです。
それは食事だけではなく、「あ、便箋切れた!ノートもや!便箋とノートたのんまーす!」と言ったら、またもや警察官は外のお店(大体コンビニ)まで買いに走るのです。
被疑者が定期的に処方されている薬を飲んでいる場合、そのような場合も、外の病院まで薬をもらいに警察官が走る(というか、病院で並ぶ)のです。
その他もろもろ、そのような工夫はたくさんあります。
これを知って、激怒している方も多いかと思われます。
「警察官が、なんで犯罪をした奴らに対してそんなことまでやってるんだ?!」と。
しかし、何度も言いますが、確定判決が下るまで、被疑者・被告人には無罪推定が及びます。
ですので、身柄拘束の扱いも、可能な限り一般私人の扱いと変わらないように対応する必要があるのです。
特に、まだ起訴されていない被疑者段階などは、もう「一般私人中の一般私人」ですから、警察官もこのように涙ぐましい苦労をしてでも、被疑者の生活を、一般私人の娑婆での不自由のない生活に近付けられるように頑張っている訳です。
このようにしてまでも、憲法や法は、被疑者の人権を守っているのです。
その理由が、上記の説明でお話しした事々なのです。
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ということで、色々と書いてきましたが、むやみに感情に流されることなく、唯一客観的に存在している「条文」を判断の拠り所にして、冷静に事件を見つめて欲しいと思います。
今度は、法理論から離れた観点からも色々と書いてみたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します!