舎利弗の役割 正法輪を転ずる
増谷文雄『阿含経典による仏教の根本聖典』より
第五篇 教誡説法 第十章 正法の嫡子――舎利弗のことども――(二)
南伝 相応部経典、八、六、舎利弗
漢訳 雑阿含経 四五、一二一〇
Cf. 同『仏教百話』24)道と道ならぬを分ち説きて(分別)
ここでは、サーリプッタ(舎利弗)についての記述を取り上げます。
仏陀の高弟にサーリプッタ(舎利弗)という者があった。彼は数多い仏陀の弟子のなかの第一人者であった。そのことは、仏陀も弟子たちも、ひとしく認めるところであった。
<補説>サーリプッタ(舎利弗)は、六師外道のひとりにかぞえられるサンジャヤのもとで修行に励んでいた頃、初転法輪を聞いた五比丘のひとり(であろう)アッサジ(阿説示)に出合い、縁起の教え(縁起法頌)を聞き、即座に、汚れなき真理を見る眼を得、親しき友人であるモッガラーナ(目犍連)とともに、世尊のみもとにおいて出家し、受戒した人物です。彼ら二人は、いわゆる十大弟子に数えられています。(第二篇 伝道の開始、第八章、一)
ある時、仏陀は、比丘たちにむかって、サーリプッタを讃え、つぎのように語ったとも記されています。
「比丘たちよ、またもし人ありて、―― 某々は世尊の実子である。口より生まれ、法より生まれ、法の成ずるところである。彼は法嗣にして、肉嗣にあらず ―― というものがあらば、サーリプッタはまさにかかる者である。比丘たちよ、サーリプッタは、如来によりて転ぜられし無上の法輪を、まさに正しく随って転じゆく。」
<補説>ここでの「世尊の実子である。口より生まれ、法より生まれ、法の成ずるところである」という表現は、大乗仏典においても認めることができます。
「今日乃ち知んぬ、(われ)真に是れ仏子なり、仏口より生じ、法化より生じて、仏法の分を得たり。」(舎利弗のことば)鳩摩羅什訳『法華経』巻第二、譬喩品第三
「もし諸もろの善男子、善女人有って、この大悲藏生大漫荼羅王三昧耶に入る者は(中略)初發心より乃し如來を成ずるに至るまでの所有(あらゆる)の福徳聚なり。(中略)彼の善男子、善女人は、如來の口より生ず、佛心の子なり。」(金剛手のことば)『大日経』巻第二、具縁品第二
その言葉のなかには、彼が、仏陀の道のすぐれた実践者であるとともに、また、この道のよき説法者であったことが語られている。とくに、彼は、仏陀の教えを正確に分析して、明瞭に解説する頭脳の明晰と、表現の微妙を兼ねそなえていて、しばしば、仏陀にかわって、若い比丘たちに説法したことが、多くの経典によってしられる。
<補説>たとえば、第五篇 教誡説法、第一章 法の相続者たれ(三)がその一例です。世尊がその座を立たれてから、やがて、長老サーリプッタは、比丘たちに語って言った。その内容は、「諸賢よ、ここに、貪ることは悪である。瞋ることもまた悪である。貪りを捨て、瞋りを離れんがためには、中道がある。それは浄き眼を生ぜしめ、真の智を生ぜしめるのであって、寂静涅槃へと導くものである。では諸賢よ、かくのごとき中道とは、いかなるものであるかと言えば」云々とあります。
ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、サーヴァッティー(舎衛城)の、ジェータ林の精舎(祇園精舎)にあった。そのとき、彼は(仏陀にかわって)比丘たちのために、丁重なる言葉と、明瞭なる声とで、明快なる法話を説き、彼らを利益(りやく)し、かつ鼓舞した。彼ら比丘たちは、注意ぶかく、熱心に、耳をかたむけて聴いた。長老ヴァンギーサ(婆耆沙)、かつて俗にあったころ詩をよくした比丘は、その席にあって、感にうたれ、「わたしはいま、長老サーリプッタを、適当な偈をもって讃えよう。」と、座を起ち、衣を片方の肩にかけ、長老サーリプッタを合掌し拝して言った。
「友よ、サーリプッタよ、わたしはいま、詩想がうかんだ。」
「友ヴァンギーサよ、では、そを語るがよい。」
そこで、長老ヴァンギーサは、つぎのような偈をもって、長老サーリプッタを讃えた。
「大いなる智者サーリプッタは
智慧ふかくして、かつ賢く、
道なると道ならぬとを巧みに分ち、
比丘たちのために法を説きたもう。
あるときは略して簡潔に説き、
またあるときは開いて広く語り、
その声の明澄なるはサーリカー(舎利鳥)のごとく、
その弁舌は湧き出づる泉のごとし。
その声はまた蜜のごとく楽しく
耳も爽やかに説きゆきたまえば、
比丘たちは心おどりよろこびて、
耳をぞ傾けて聞きにける。」
のちの仏教では、この比丘を智慧第一のサーリプッタと称讃する。
<補説>『般若心経』において、舎利弗が観自在菩薩の教示を聞く質問者と登用されるのは、『般若心経』が般若波羅蜜多(智慧の完成、仏智)を主要内容とすることとともに、大乗の菩薩を代表する観自在菩薩が、慈悲ばかりでなく、智慧に関しても、舎利弗を凌駕している、すなわち大乗仏教の優位性を示すものなのでしょうか。
また「サーリプッタは、如来によりて転ぜられし無上の法輪を、まさに正しく随って転じゆく。」という表現は、大乗菩薩の実行すべき務めのひとつとして、密教経典ではとくに蓮華部のはたらきとして、継承されています。たとえば、「一切如来の大菩提心を発こし、普賢の種種の行を成弁し、一切如来に承事し、大菩提場に往詣し、諸の魔軍を摧き、一切如来の平等の大菩提を証成し、正法輪を転じ、乃至、一切を抜済し、尽無余の有情界を利益し安楽し、一切如来の智の最勝の神境通の悉地を成就する等に一切如来の神通遊戯を示現す」不空訳、三巻『教王経』巻上。また『理趣釈』第十二段にも「この四種の智、すなわち四大菩薩、現に法輪を転ずる王、これなり」とありました。
以上、まとまりのないままの投稿でした。
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