十七清浄句と『理趣釈』所説の初段のマンダラ 

(注)本投稿は、前回を多少修正しての投稿となります。

 

金剛薩埵(Vajrasattva)を中尊とする十七尊マンダラは、不空訳『理趣経』等には説かれず、「金剛薩埵儀軌類」と呼ばれる、金剛薩埵の成就法(sādhana)を主題とする一連の、不空訳の儀軌類、加えてそれを有して増広されたチベット訳『理趣広経』後半「真言分」を構成する「大楽金剛秘密儀軌」、「吉祥最勝本初儀軌」等に基づいて画かれます。したがって、十七尊マンダラには各種のバリエーションがあることになります。ここでは、

 

川﨑一洋(一洸)氏の論考

2007「『理趣経』十七尊曼荼羅の成立に関する一試論」

2008「『理趣経』十七尊曼荼羅の成立について(試論)」

2010「金剛薩埵十七尊曼荼羅の諸相」『平安仏教学会年報』6

2010「五秘密尊と五秘密曼荼羅」『印仏研』59-1

2011「五秘密曼荼羅について」『智山学報』60

 

に拠り、『理趣釈』初段の解説末尾に「大楽不空三昧耶真実密語」を、それぞれ種子とする、十七尊(十七清浄句)から成るマンダラに焦点をあてて、お話しいたします。

 

なお不空訳の「金剛薩埵儀軌類」とは、大正Nos.No.1119-1125をいうのですが、これらは、

 

『普賢瑜伽』系の儀軌

『金剛頂普賢瑜伽大教王経大楽不空金剛薩埵一切時方成就儀』(大正No.1121)

『普賢金剛薩埵略瑜伽念誦儀軌』(大正No.1124)

 

『勝初瑜伽』系の儀軌

『大楽金剛薩埵修行成就儀軌』(大正No.1119)

『金剛頂勝初瑜伽経中略出大楽金剛薩埵念誦儀』(大正No.1120)

『金剛頂勝初瑜伽普賢菩薩念誦法』(大正No.1123)

『金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行念誦儀軌』(大正No.1125)

 

に分かれ、残る『金剛頂瑜伽他化自在天理趣会普賢修行念誦儀軌』(大正No.1122)、および『金剛王菩薩秘密念誦儀軌』(大正No.1132)に説かれる十七尊マンダラは、『普賢瑜伽』、『勝初瑜伽』系の“標準的”な十七尊マンダラを多少改変したものであり、『理趣釈』、『十七尊義述』はその形式を受けているとのことです。

 

金剛薩埵十七尊マンダラには、各種のバリエーションがあると指摘した通り、それぞれの尊格が男尊であるのか、女尊であるのか、またその名称など、少なからず複雑であるのですが、ここでは、私たちが最も大切にすべき、『理趣釈』および、『十七尊義述』(『般若波羅蜜多理趣経大楽不空三昧真実金剛薩埵菩薩等一十七聖大曼荼羅義述』大正No.1004. 以下『義述』)に説かれる、そして、おそらく不空三蔵の最終的な考えに基づくであろう、「理趣経初段の十七尊マンダラ」ともいうべき、金剛薩埵十七尊マンダラについてのご紹介です。

 

中央に九位あり

内院の中央、および四方

1妙適(surata. MW p.1232. a great joy or delight etc.)清淨句是菩薩位 

中央・普賢菩薩(金剛薩埵

<尊格・尊容>『義述』「その一は、所謂る、大楽([三]大安楽不空三昧真実金剛菩薩(*Vajra)なり。蓋し、諸仏(の心中hdayaの)普賢(samantabhadra)の身を表す。器世間、及び有情世間に周遍す。その無辺、自在の理、常に体寂にして、不妄・不壊なるを以っての故に、是の名有り。左に金剛鈴(ghaṇṭā)を持するは是れ適悦の義、腰の左に置くは大我を表す焉。右に五股金剛杵(vajra[三]五股金剛)を持するは是れ五智の義、拳を轉じて外に向くるは衆生に示す。曼茶羅に於いて、其の中位に有り、而も其の衆相を総す。是れを除いて、而も一十六位有り焉。蓋し正覚の経路なり。」なお『理趣経』本文では、金剛手(金剛薩埵)は、いまだ金剛鈴を執ってはいません。

 

<妙適・尊格>『理趣釈』「妙適とは、即ち梵音の蘇囉多(surata)なり。蘇囉多とは、世間の那羅・那哩(nara-narī男女)の娯樂(、すなわち性愛の快楽の状態)の如し。金剛薩埵(Vajrasattva)も亦た是れ蘇囉多(の状態)なり。(すなわち)無縁の大悲を以て遍く無盡の衆生界を縁じて安楽・利益(*sukha, hita)を得せしむと願って、心に曾て休息なく、自他平等(samatā)にして無二(advaya)なり。故に蘇囉多と名づくるのみ。金剛薩埵の瑜伽の三摩地(= 本尊瑜伽)を修するに由って、妙適清淨の句を得。是の故に普賢菩薩の位を獲得す。」」

 

2]欲(rāgavāṇa)清淨句是菩薩位 前・慾金剛菩薩

<尊格・尊容>『義述』「その二は、所謂る、意生金剛(Manodbhavavajra. Cf. manobhava MW p.786)菩薩、大悲の欲箭を以って、二乘(= 離欲)の心を害す。所以に、手に是のを持して、而も其の欲離倶幻平等の智身を現ず。」

 

慾金剛が、意生(manodbhava. 意よる生じる[愛情])と呼ばれるのはなぜか。Ānandagarbhaは、意生金剛(rdo rje yid las byung ba)の義(意味)を、「金剛薩埵等の観想(bhāvanā)に対する熱意ある愛(kāma)である。なぜなら、「貪愛(rāga)が三昧耶であると説かれる、(それは)可愛の法愛である」と説かれているからである。」(rdo rje sems dpa’ la sogs pa bsgom pa la shin tu zhen pa’i chags pa ste / ‘dod chags dam tshig yin par bzhad / chos kyi ‘dod pa yid ‘ong ba // zhes gsungs pa’ phyir ro //)と説明しています。髙橋<第一部> p.314参照

 

3]觸(sparśa)清淨句是菩薩位 右辺・金剛髻離吉羅(Vajrakelikila)菩薩(金剛悦喜)

『義述』<尊格・尊容>「其の三は、所謂る、髻利吉羅kelikila. MW p.309. sporting, amusing one’s self)金剛菩薩、中國の言に於いては触(= 異性との接触)と名づく。衆生を捨てずして必ず解脱せしむるを以っての故に、触の性、即菩提なりと明さんと欲するが故に、所以に、抱持の相に住して、而も其の触淨倶幻平等の智身を現ず。」


4]愛縛(sneha-bandhana)清淨句是菩薩位 後・愛金剛(Snehavajra)菩薩(愛楽金剛)

<尊格・尊容>『義述』「其の四は、所謂る、悲愍sneha)金剛菩薩なり。悲愍を以ての故に、愛念の繩を以て普く衆生の、未だ菩提に至らざるを縛し、終に放捨せず。亦た、摩竭大魚(makara)の呑啗するに遇う所、一たび口に入り已って、更に免るる者の無きが如し。所以に、此の摩竭魚幢を持して、而も、其の愛縛捨離、倶幻平等の智身を現ず。」

 

[5]一切自在主(sarvaiśvaryādhipatya)清淨句是菩薩位 左辺・金剛傲(Vajragarva)菩薩(慢金剛、金剛慢)

<尊格・尊容>『義述』「其の五は、所謂る、金剛慢Vajragarva)菩薩なり。無過上智を以て、一切衆生をして、悉く、毘盧遮那如來体を証せしむ。世出世間に於いて皆な自在を得。所以に、傲誕の威儀に住して而の其の我無我倶幻平等の智身を現ず。」
 

この五つの尊格は、十七段では「五秘密尊」(五種の秘密三摩地)と呼ばれ、金剛薩埵、金剛明妃・金剛髻梨吉羅金剛明妃()・金剛明妃・金剛明妃となり、同一円光の中、同一蓮華に坐します。ここでは金剛薩埵を中尊として、その前から右周りに四方に配され、そして男尊であると解されます。なお、第十七段の五句は『理趣分』にもあり、五秘密尊は、「大欲、大貪等」、「大楽」、金剛薩埵「大菩提、大覚」、愛「摧大力魔、降伏一切大魔」、慢「遍三界主自在、普大三界自在」となります。

 

『普賢瑜伽』系、『勝初瑜伽』系では、ともに、これら五尊は[1]金剛薩埵、[2]金剛眼箭vajradṛṣṭisāyakā、[3]金剛髻利吉羅vajrakelikilā、[4]金剛念vajriṇīsmarā、[5]金剛欲自在vajrakāmeśvalīとあり、四方の諸尊は女尊であることが分かります。なお、十七尊のうち、金剛薩埵を除く十六尊はすべて女性名詞で呼ばれています。

 

内院の四隅

6]見(dṛṣi)清淨句是菩薩位 右辺の前隅・意生金剛(Manodbhavavajrī)菩薩

<尊格・尊容>『義述』「(617c17)其の六は所謂る、金剛見Vajradṛṣṭi[-sāyakā])菩薩なり。寂照大慧の眼を以て、雜染界・妙淨土、乃至、眞諦・俗諦に於いて、唯だ見一切法の勝義、眞實の諦を見て、散ぜず、動ぜず。所以に意生の契(= 欲箭)を持して、而も其の三昧の身(= 女尊)を現ず。」

 

7]適悦(rati)清淨句是菩薩位 右辺の後隅・適悦金剛菩薩(金剛髻離吉羅Vajrakelikilā、髻離吉羅)

『義述』「(617c21)其の七は所謂る、金剛適悦菩薩なり。身塵に於いて而も適悦清淨を得。生死解脱に於いて厭わず、住せず。所以に觸金剛の相を持して、而も其の三昧の身を現ず。」

 

8]愛(tṛṣṇā)清淨句是菩薩位 左辺の後隅・貪金剛菩薩(愛金剛Snehavajrinī)

<尊格・尊容>『義述』「(617c24)其の八は所謂る、金剛貪菩薩なり。貪愛に即して、而も清淨を得るが故に、遂に能く、貪を以て而も一切の功徳智慧を積集して、疾く菩提を証す。貪愛性に住するに由るが故に。所以に悲愍の契を持して、而も其の三昧の身を現ず。」

 

9]慢(garva)清淨句是菩薩位 左辺の前隅・金剛慢(Vajragarvī)菩薩(金剛傲、傲金剛)

<尊格・尊容>『義述』「(617c28)其の九は所謂る、金剛自在([kama-]īśvarī)菩薩なり。三界に出入するに自在にして無畏なり。生死涅槃に於いて而も大我の体を得。所以に金剛慢の相に住して、而も其の三昧の身(vajragarvī)を現ず。」

 

「金剛薩埵儀軌類」は、これら四体の尊格を、金剛界マンダラにおける内四供養女である嬉・・歌・舞を継承して、嬉・・歌・舞と少し変更を加え、外院に配されています。一方、『理趣釈』は、『義述』に「三昧の身」とあること、およびその姿容、持物などからも分かるように、それぞれは欲・触・愛・慢の明妃として、内院の九尊を構成しています。

 

外院・四隅

10莊嚴(bhūṣaṇa)清淨句是菩薩位 初(右辺の前隅 = 東南角)春金剛(Madhuvajrī)菩薩  madhu. MW, p.779

<尊格・尊容>『義述』「其の十は所謂る、金剛春菩薩なり。能く菩提覚花(Cf.「[三十七]菩提覚支と[九次第]禅定の花飾り」)を以て供養雲海を起こし、亦た方便を以て衆生に授與して功徳利を作しむ。花は是れ春の事なるを以って、遂に以て之れに名づく。故に、亦た(puṣpa)を持して以て其の契(*cihna 持物)と爲す。」

 

11意滋澤manohlādana)清淨句是菩薩位 次(右辺の後隅 = 南西角)雲金剛菩薩

<尊格・尊容>『義述』「(618a05)其の十一は所謂る、金剛雲Vajrameghā)菩薩なり。能く法澤慈雲を以て、含識を滋潤し、亦た方便を以て諸の身心に授く。無始の無明の臭穢不善をして、化して無量の供養香雲と成さしむ。鑪煙、雲に像(かたど)るを以て、遂に以て號と爲す。故に焚香dhūpa)の器を持して、以て契と爲す焉。」

 

12光明(āloka)清淨句是菩薩位 秋金剛Śāradavajrī)菩薩 次(左辺の後隅 = 西北角)

<尊格・尊容>『義述』「其の十二は所謂る、金剛秋菩薩なり。常に智燈を以て諸の黒暗を破し、亦た方便を以て衆生に授與して、無量の光明供養雲海を起こす。以其の空の色、清爽なること、秋時に如(し)くは莫きを以て、智光の体を表わさんと欲して、遂に以て之に名づく。故に、燈明āloka)を執て、以て其の契と爲す。」

 

13身樂(kāyasukha)清淨句是菩薩位 次(左辺の前隅 = 北東角)冬金剛菩薩

<尊格・尊容>『義述』「(618a13)其の十三は所謂る、金剛霜雪Vajraśiśirā)菩薩なり。能く五無漏蘊の香を以て、衆生の心体に塗り、煩惱の穢熱を滅し、五分法身の香を成す。亦た方便を以て衆生に授與して、塗香供養雲海を起こし、栴檀の塗香を以て諸の毒熱を解すは、霜雪に似たること有り。遂に以て之を名づく。故に塗香(gandha)を執て、以て其の契と爲す。」

 

この四つの尊格は、金剛界マンダラにおいて外四供養女とされた香・華・灯・塗を、華・香・灯・塗の次第で受容したものです。『普賢瑜伽』系では内院に配されるのですが、『理趣釈』等では、そのまま外院の四隅に配し、金剛薩埵の四季恒久の大楽(「四時供養」)を象徴させ、持物として、春には華は、夏の雲には焼香(焚香)、秋には灯明、そして冬には塗香とします。なお『勝初瑜伽』系では、名を新たにした、金剛妙適悦(Vajraratā)、大適悦性金剛(Mahāratavajrī)、金剛眼(Vajralocanā)、大吉祥金剛(Mahāśrīvajrī)の四尊がセットとしてむかえられています。

 

外院・四方

14(rūpa)清淨句是菩薩位 前(= 東)・色金剛菩薩(色金剛)

<尊格・尊容>『義述』「其の十四は所謂る、金剛色菩薩なり。色清淨の智を以て浄妙界に於いて受用の色身(rūpakāya)を起こし、雑染界に於いては變化の色身を起こして、而も摂来(ākarṣaṇa引き寄せる)の事を爲す。故に以って、(akśa)を持して契と爲す。」

 

15śabda)清淨句是菩薩位 右(= 南)・聲金剛菩薩(声金剛)

<尊格・尊容>『義述』「(618a21)其の十五は所謂る、金剛聲菩薩なり。聲清淨の智を以て、能く六十四種の梵音(brahma-susvara)を表す。法界に普周して而も引入(praveśa)の事を爲す。故(pāśa)を持して以て契と爲す」

 

16(gandha)清淨句是菩薩位 後(= 西)・香金剛菩薩(香金剛)

<尊格・尊容>『義述』「(618a24)其の十六は所謂る、金剛香菩薩なり。香清淨の智を以て、金剛界(vajrdhātu)自然名稱の香を発して、一切の散動心に入って、以て止留(bandha結ぶ、縛る)の事を爲す。故に以て(sphoa)を持して契と爲す。」

 

17(rasa)清淨句是菩薩位 左(= 北)・味金剛菩薩(味金剛)

<尊格・尊容>『義述』「(618a27)其の十七、所謂る金剛味菩薩なり。味清淨の智を以て、瑜伽三摩地・無上の法味を持して、以て歡樂(*tuya)の事を爲す。故に(ghaṇṭā)を持して契と爲す。」


 

これら四尊は、金剛界マンダラの四門に配される、いわゆる、四摂の鉤・索・鎖・菩薩に対応しますが、ここでの名称は清浄句のまま、色・声・香・味をもって呼ばれています。『理趣会軌』では、すでに四摂を色・声・香・味に結びつけています。一方『普賢瑜伽』系、『勝初瑜伽』系では、金剛鉤(Vajrāṅkuśī, Vajrāṅkuśā)、金剛索(Vajrapāśī, Vajrapāśā)、金剛鎖(Vajraśṛṅkhalā)、金剛鈴(Vajra ghaṇṭā)と呼ばれ、女尊として扱われています。でも『理趣釈』、『義述』は、これら四尊を女尊として解しているのか、筆者には不明です。

 

(総括は、後日行います。)