理趣経 第五段 四種の施与

 

所謂 以灌頂施故 能得三界法王位

いわゆる、灌頂施を以ての故に、能く三界の法王の位を得。

[T] 1)abhiṣeka-dānaṃ sarvatraidhātuka-rājya-pratilambhāya saṃvartate /

灌頂の施与は、一切の三界の王たることの取得に資する。

 

梵文も、不空三蔵による漢訳文も、きわめて簡潔な表現となっています。私たちは、その意味するところを正しく汲み取らなければなりません。

 

少しことばを足して、梵文の和訳を示せば、

 

(一切有情に対する、一切如来としての)灌頂の施与は、(自他ともに)一切の三界の王たることの取得に資する。

 

となります。それぞれの施与の対象を異にしての説明はもちろん可能なのですが、施与は、必要とされる施物を、必要とするなお方に、適切に与えることが肝要なのですから、ここでは、その無限の可能性を含めて「一切有情に対する、一切如来としての」とします。ここでなぜ「一切如来としての」が付されているのかについても、説明は十分に可能です。鍵概念は「六分の一」です。(いまは詳しい説明は秘しておきます。)そして、必要とするなお方に、必要とされる施物を適切に与えることは、自他ともに、「物惜しみ(mātsarya)の対治」となります。

 

施与の対象:川嶋健「Trailokyavijaya-mahakalparajaの研究」印仏研37-2, 平成元年3月 dbang sbyin pas de bzhin gshegs pa thams cad la mchod pa bya’o(灌頂の施与をもって、一切如来に供養すべし。) // de nas nor sbyin pa(財の施与。Cf. 義利施) ni dge sbyong dang bram ze la ci nus kyis sbyin no // de nas zas sbyin pa (Cf.資生施)ni byol song rnams la sbyin no // de nas mi ‘jigs pa’i sbyin pa (無畏の施与)ni gyod khrid thmas cad la sbyin no // de nas chos sbyin(教法の施与) ni mi snang ba’i sems can rnams la sbyin no // Trailokyavijaya-mahakalparaja, De. Ta.35a5-6.

 

以下、同じです。

 

義利施故 得一切意願満足

義利施の故に、一切意願の満足を得。

 

[T] 2)artha-dānam sarva-āśā-paripūryai saṃvartate /

(一切有情に対する、一切如来としての)義理(= 利益、有用なもの)の施与は、(自他ともに)すべて願望の円満に資する。

 

以法施故 得圓満一切法

法施を以ての故に、一切法を円満することを得。

[T] 3)dharma-dānaṃ sarvadharma-samatā-prāptyai saṃvartate /

[L] dharma-dānaṃ sarvadharmatā-prāptaye saṃvartate,

[tib.] chos thams cad kyi mnyam pa nyid 

(一切有情に対する、一切如来としての)教法の施与は、(自他ともに)一切の諸法の平等性(もしくは、一切の[本性として清浄なる]法性)の獲得に資する。 

 

資生施[滋生施]故 得身口意一切安樂

資生施の故に、身口意の一切の安楽を得。

[T] āmiṣa-dānaṃ sarva-kāyavākcitta-sukha-pratilambhāya saṃvartate //

(一切有情に対する、一切如来としての)資生(しせい。生活するうえに必要となる、生活に資するさまざまな物品)の施与は、(自他ともに)すべての身口意の安楽の取得に資する。

 

『理趣経』第五段のこの句が、お化粧品メーカー「資生堂」さまの社名の典拠のひとつであったといいたいのですが、さにあらず。「至哉坤元 万物資生」(大地の徳はなんと素晴らしいものでしょうか。すべてのものは、ここから生まれる)『易経』なのだそうです。

 

四句の密教的意味については、次回以降とします。

 

カバーの虚空蔵菩薩さまは、埼玉県飯能市 智山派梅松山 円泉寺さまのHPからです。