お塔婆を書いていて、「星」という漢字とあらためて出会いました。お戒名にではなく、お施主さまの苗字にありました。「日」の下に「生」がある。なんだかロマンチックで、元気が出そうです。

 

まず、白川静(1910-2006)『字通』平凡社1996を引いてみます。「セイ」p.902頁です。そこには、形声として

 

形声 音符は生(せい)。正字は晶に従い、曐に作り、晶は星光の象。〔説文〕七上に「萬物の精、上りて列星と爲る」という。參(参。しん)は簪(かんざし。冠をとめるために髪に挿すかんざし)の形で、その初形はの形を含み、玉光を示す字で簪の玉光を示す形であった。

 

 

とあります。次の古訓は割愛して、音系と語系には

 

音系 〔説文〕に星声として腥・猩、〔説文新附〕十四下に醒を収めるが、惺は未収。星声はむしろ靑(青)声の字と声義の関係があるようである。

 

語系 星と晶は声義近く、〔説文〕七上に「晶は精光なり」とする。「星」の初文(= 当初の形で、偏や旁が加わる前の形。コトバンク)は晶に従う字であった。參ももと簪(= 冠をとめるために髪に挿すかんざし)の玉光を示す字である。睛(晴)・精(精)も声義に関係のある字で、星は「萬物の精」、夝(せい。星が光る、夜晴れる意)七上は「雨ふりて夜除れ、星見(あら)はるるなり」とあり、睛の初文である。

 

 

 

とあります。これもむつかしいです。次に、小川環樹(1910-1993)他『新字源』角川書店1975を引いてみました。なりたち を引用します

 

 

 

星(曐) なりたち もと、晶(ほしの形にかたどる。日は省略形)と音符生(せい。すむ意→清)とから成り、空に澄みかがやく「ほし」の意を表わす。形声字の音符になると、あきらかにする(惺・醒)など、なまぐさい(腥)などの意味を示す。

 

白川静『字通』の理解とは必ずしも一致していないようです。

 

分かったのは、「星」の「生」は読み方「せい」を示し、「日」はもともとは「晶」(ほしの形にかたどる)で、星光、空に澄みかがやく「ほし」(天体)を意味するということです。ただし、「晶は精光なり」、「萬物の精、上りて列星と爲る」の「」の意味(おそらくは、精光で、かがやくの意)それが「清」(きよい)とどのように関係するか、そして「萬物の精」とは何を意味するのかということは疑問として残りました。ただ、「萬物の精、上りて列星と爲る」とは、とてもロマンチックな表現で、元気が出そうです。私もこの大地の上ですみ輝き生きて、後には天空の光、星となりたいと願います。

 

 

 

そろそろ、星供の準備が始まめます。