理趣経<初段>清浄句の法門 その二
6)見清淨句是菩薩位
[T] 6) dṛṣṭi-viśuddhi-padam etad yaduta bodhisattva-padam / = [L]
(男女が互いに)見ることの清浄であるという句(意生金剛の瑜伽三摩地を修すること)、それはすなわち菩薩の位である。
『理趣釈』「意生金剛の瑜伽三摩地を修することに由って、云々」
『義述』「其の六は、所謂ゆる金剛見菩薩なり。寂照大慧の眼を以て、雑染界・妙浄土、乃至、真諦・俗諦(= 勝義諦・世俗諦)(の双方)に於いて、唯だ一切法の勝義真実の諦を見て、散ぜず動ぜず。所以に、意生の契を持して、而も其の三昧の身(= 女尊の姿。金剛嬉)を現ずるなり。」
『理趣釈祕要鈔』巻第四「見者於一切諸(686a07)法見勝義眞實之諦。勝義眞實者阿字本不(a08)生理也。持意生之契者金剛王軌云。以前印(a09)挽弓勢。稍向下柔軟爲之(= 前印を以って、弓を挽く勢をなす。稍や下向けて柔軟に之を爲す)。是爲意生金剛(a10)女印 文」
7)適悦清浄句是菩薩位
[T] 7) rati-viśuddhi-padam etad yaduta bodhisattva-padam / = [L]
[ともに]喜び楽しむことの清浄であるという句(適悦金剛の瑜伽三摩地を修すること)、それはすなわち菩薩の位である。
『理趣釈』「適悦金剛瑜伽三摩地を修することによって、云々」
『義述』「其の七は、所謂ゆる金剛適悦菩薩なり。身塵(= 六境の触境)に於いて而も適悦清淨を得る。生死・解脱に於いて厭わず住せず。所以に、触金剛の相を持して、而も其の三昧の身を現ずるなり。」
『理趣釈祕要鈔』巻第四「持触金剛相者。金剛王軌云。如前、抱(686a22)勢柔軟爲之(= 前の如く、抱く勢をなす。柔軟に之を爲す)。是爲計里吉羅(= 触)金剛女」
8)愛清淨句是菩薩位
[T] 8) tṛṣṇā-viśuddhi-padam etad yaduta bodhisattva-padam / = [L]
渇愛(求めること、手に入れようとすること)の清浄であるという句(貪金剛の瑜伽三摩地を修すること)、それはすなわち菩薩の位である。
『理趣釈』「貪金剛の瑜伽三摩地を修することによって、云々」
『義述』「其の八は、所謂ゆる金剛貪菩薩なり。貪愛に即して而も清淨を得るが故に、遂に能く貪を以て而も一切の功徳(= 福徳)・智慧を積集して疾く菩提を證す。貪愛性に住するに由るが故に、所以に(苦しむ衆生に対して)悲愍の契(摩竭幢印)を持して(衆生を悟りにいたらしめ)、而も其の三昧の身を現ず。
『理趣釈祕要鈔』巻第四「悲愍之契(686a29)者 金剛王軌云。如前幢印。是爲愛金剛女(b01)印 文 前幢印者彼軌説愛金剛印云。以左(b02)金剛拳承右肘。右拳竪之爲幢相。是爲愛(b03)金剛印云云 是摩竭幢印也。此軌説結印。今(b04)持者直幢上安摩竭魚持之也」
9) 慢清淨句是菩薩位
[T] 9) garva-viśuddhi-padam etad yaduta bodhisattva-padam / [L] 欠
驕慢(誇らしさ、自信をもつこと)の清浄であるという句(金剛慢の瑜伽三摩地を修すること)、それはすなわち菩薩の位である。
『理趣釈』「金剛慢の瑜伽三摩地を修することによって、云々」
『義述』「其の九は、所謂ゆる金剛自在菩薩なり。三界に出入するに自在にして無畏なり。生死・涅槃に於いて而も大我の体(= 融通無礙・自在)を得。所以に、金剛慢の相に住して、而も其の三昧の身を現ずるなり。」
『理趣釈祕要鈔』巻第四「住(686b09)金剛慢相者。金剛王軌云。如前 安二拳腰(b10)側(= 二拳を腰の側に安ず)。是爲意氣金剛女印 文 已上四菩薩或傳(b11)爲内四供。如次配嬉・笑・歌・舞。其故不空義(b12)述以春雲秋冬四菩薩如次爲花香燈塗。(b13)以色聲香味四菩薩如次爲鉤索鎖鈴。以(b14)知内院四隅菩薩可嬉笑歌舞。常途説云嬉(b15)・鬘・歌・舞。今云嬉咲(= 笑)歌舞者。」(云々)
※結印には流々の習いがある。流に入って法を伝授しなくてはならない、とのことです。松長先生『講讃』に記述される範囲内で、ご紹介しています。お許しください。