増谷文雄『仏教の根本聖典』第六篇 譬喩説法、第一章・布の譬喩(たとえ)(pp.230-236)のご紹介です。

 

中部経典MN-7布喩経Vatthupama S.

中阿含経巻第二十三、93水浄梵志経(vol.1, 575a19ff)

 

穢(けが)れ垢(あか)づいた布が、染色(そめいろ)あざやかには染めあがらないことを教訓として、心が清浄であって、はじめてよき結果(= 修行の成果)を予期することができる、と、お釈迦さまは、比丘たちに教え説いています。

 

では、心のけがれとは何か。欲のむさぼり、邪(よこし)まのむさぼり、瞋(いか)り、恨(うら)み、あやまちを覆(かく)すこと、嫉(ねた)み、吝(おし)んで施(ほど)さぬこと、詐(いつわ)り瞞(だま)すこと、頑(かたく)ななること、性急なること、慢(おご)ること、憍(たか)ぶること、放逸(なおざり)なること、などが挙げられています。

 

漢訳は、心のけがれとして21種を数えています。

 

二十一穢邪見心穢、非法(575a27)欲心穢、惡貪心穢、邪法心穢、貪心穢、恚心穢、睡(a28)眠心穢、10掉悔心穢、疑惑心穢、瞋纒心穢、不語(a29)結心穢、慳心穢、嫉心穢、欺誑心穢、諛諂心穢、(b01)無慚心穢、無愧心穢、慢心穢、大慢心穢、11憍傲(b02)心穢、放逸心穢。

 

これらを心のけがれであるとさとり、これらを心のけがれとして捨離することを努め、よく捨離することで、仏・法・僧に対する絶対なる信を持するにいたる。いよいよ心のけがれを離れ、解脱が成る。そして慈悲の心をもって、あまねく一切を覆い、怒ることもなく、害なうこともなくして住する。そのとき、はっきりと解脱の自覚がなるのです。

 

三宝に対するが揺るぎなきことと、が堅固であることを四不壊浄といいます。・定・慧・解脱解脱知見を五分法身といいます。

 

第一章・布の譬喩では、この経にちなんで、スンダリカ・バーラドヴァージャ婆羅門に対する、真実の沐浴とは何か、それは聖なる河に身を浸すことではないと教える経文がつづいています。

 

真実の沐浴とは

 

生きとし生ける者に安穏を与える

妄語(いつわり)を語らず

生ける者を害(そこな)わず

与えられざる物を盗らず

信をうけて、貪欲ならず

 

などであり、お釈迦さまは

 

婆羅門よ、来たってここに浴せよ

 

と語っています。 

 

僧侶研修のお方には、仏教基礎学の学習とともに、経典、まずは初期仏典を読まれることを課しています。