いま大学の先輩のお寺で、ご法要が済んで、戻られるのを待たせていただいています。
二つ歳上の姉のお葬儀でした。
長女さまをはじめ、二人の息子さま。
長女さまのお子さま四人と、次男さまの奥さま、そして兄、弟で末っ子の私と、私の息子・長男と、家内でのお葬儀でした。
兄姉三人、両親との実家での生活は、私が中学生頃まで続いたかと思います。姉の高校時代は忙しく、兄は大学で関東へ、私も高校、大学時代は、ほとんど実家におらず、私は親不孝者です。
姉はときどき、自分の子に、私のことを話していたとのこと、はじめて知りました。私の小学、中学の頃のことです。
仲間うちで“やんちゃ”というか、少々危険を伴う遊びをしていました。
10円玉を線路に、電車にひかせていたころ、南海電車を停めてしまったお話、遮断器の仕切り棒の先に友達の帽子を引っ掛けてふざけていて、それを折ってしまったこと。昔は仕切り棒は竹製でした。
そんな“やんちゃ”話の他にも、私は真面目で、お勉強が好きなのですよ、ともお話ししてくださっていたようです。
姉の子とは、両親のお葬儀でお会いして以来かと思います。そのころ、その子たちはまだ子どもでした。
姉のことを改めて考えることができました。長らく病気にあったのですが、お見舞いにも行けず、申しわけありませんでした。兄さまご夫婦さま、姉のお子さま方には、姉のお世話をしていただき、感謝申し上げます。
これからは、叔父さんとしてお付き合いしていただけますよう、お願い申し上げます。