お経の指導を少しだけいたしました。
僧侶研修のお方のお経を聞かせていただきました。般若心経です。なかなか読経はむつかしいものですね。
まず暗記といわれますが、お経はお経本を手にとってお唱えするのが基本ですので、“暗記”する必要はありません。繰り返しお唱えしていると、自然とお唱えできるようになるのです。また“練習”しなくてはなんて、思い違いしないでください、とも申し上げておきます。
読経について、上手い、下手はありません。でも、違いはあります。
僧侶研修のお方のお経は安定していません。聞いていても、安心できないのです。読経について、上手・下手はありませんが、一定の水準を超えていただく必要があるのです。
「一定の水準を超える」とはどういうことですか。百人の前でお経をお唱えするとして、百人のうち、ひとりでも、いいお経だなあ、ありがたいなあ、と感じていただくお方がいれば、一定の水準を超える、といえましょう。具体的には、ご法事を済ませた後のお檀家さまのお顔、ご家族さまの雰囲気が、ご法事の前とは違って、明るく、笑顔になっていてくださっていれば、まず求められる最低限のお勤めができたということなのです。やれやれ、やっと終わったでは、申し訳ないのです。
お経の息継ぎはどこですればいいのですか、との質問もありました。繰り返しお唱えしていると、なんとなく、息継ぎの箇所が決まってきます。そうなれば、読経が安定してきます。また不思議なことに、一定の水準を超えた僧侶なら、みなさん、だいたい同じところで息継ぎをしているようです。(法要など、複数人数で読経する場合は、みな一斉に息継ぎしないよう配慮して、息継ぎするタイミングをずらすように注意する必要があります。)
また読経のテクニックというものもないではないのですが、以前に書いた通り(かな)、緩急ほどほど、雨だれがおちるようにとも、音程も一定に、発声は明瞭に、遠くまで声が届くように、姿勢を正しくして、基本通りにお唱えしていれば、おのずから、自分でも解かり、身についてきます。
そして、いつかは「一定の水準を超える」ときがくるとして、そこで、もう十分だなんて思わないでください。最低限の水準を超えたに過ぎないのですから。