“くちどけスット爽快 バニラ”というキャッチの、アイスクリームがありますが、少々(暑苦しいのですが)物言いが入ります。
仏典には「爽」の用例がほとんど少ないようです。そのなか、『百喩經』(No.209, vol.4. 僧伽斯那撰 求那毘地譯)には、次のような用例がありました。
愚人鹽塩喩
(543a17)7昔、愚人有りて、他家に至る。主人、食を與(あた)ふるに、淡にして、味無きを嫌う。主人、聞き已わりて、更に爲めに塩を益す。8既に塩美なることを得。便ち自ら念言(ねんごん)すらく、「美(うま)き所以は、塩有るに縁(よ)るが故なり。少しく有りて尚お爾り、況んや復た多きおや。」愚人無智なれば、便ち空しく(= 空しく。あるいは、むやみに)塩を食う。食らい已わりて口爽(たが)ひ、返って其の患いを爲すと。譬えば、彼の外道、飮食を節して、以って道(どう)を得べしと聞き、即便ち食を断つこと、或は七日を経、或は十五日、徒らに自ら困餓して、道に益(やく)無きは、彼の愚人、塩美きを以ての故に、10而空しく之を食らい、口をして爽(たが)わしむるを致すが如し。此れも亦復た爾なり。
ここでの用例は、さわ(やか)、あき(らか)ではなく、“たが(う)”(= 反)と読んでいます。傷つく、損なうという意味となります。愚人鹽塩喩は、「過ぎたるは及ばざるが如し」、あるいは、”美味しいものは少しだけ”の教訓ですが、爽という漢字にそのような意味があることを、いままで知りませんでした。不勉強です。
もちろん爽の熟語として、精爽(精神、心)、爽朗(すがすがしく、朗らか。海の風が心地よい、とか、笑声が朗らか)などがあります。
いまお盆の準備で、法要の合間に、お塔婆記入をしています。
「爽」という字はバランスを取るのが難しく、とんでもない文字になってしまいました。でも、なんとなく気に入っています。