『大日経』住心品 十縁生句 乾闥婆城のたとえ
復た次に、祕密主、乾闥婆城の喩を以って、悉地宮を成就することを解了すべし。
Tib. gsangs ba pa’i bdag po gzhan yang grub pa’i gnas ni / dri za’i grong khyer lta bur blta’o //
秘密主よ、さらにまた、(真言念誦による目的の)達成する場所は、ガンダルヴァの城(gandharva-nagara)のようであると理解すべきである。
『大日経疏』巻第三 十縁生句 乾闥婆城のたとえ 大智度論
(經云。復次(607c25)祕密主。以乾闥婆城譬。解了成就悉地宮者。)(c26)釋論云。日初出時。見城門樓櫓宮殿行人出(c27)入。日轉高轉滅。此城但可眼見。而無實有。有(c28)人初未曾見。意謂實樂。疾行12趣之。近而13遂(c29)失日高遂滅。飢渇悶極。14覩熱氣如野馬。謂(608a01)之爲水。復往趣之。乃至求之。疲極而無所見。(a02)思惟自悟渇願心息。行者亦爾。若以智1慧無(a03)我無實法者。是時顛倒願息。聲聞經中。無(a04)2此乾闥婆城喩。又以城喩身。説此衆縁實有(a05)但城是假名。爲破吾我故。菩薩利根。深入諸(a06)法空中。故以乾闥婆城爲喩也。
釋論に云わく、日(= 太陽)初めて出づる時、城門、樓櫓、宮殿ありて、行人(の)出入すとを見(み)ゆ(= 見える)。日転た(= いよいよ、ますます)高(たけ)ぬれば、転た滅す(= 徐々に消えていく)。此の城(じょう)は但し眼に見るべき(= 見える)のみにして、而も実有なし。人の、初めより未だ曾て見ざるあって(= はじめて見たときは)、意に実と謂(おも)い、楽(ねが)って疾く行き、之に趣くに近づけば愈よ失し(= 見失い)、日高ぬれば、遂に滅す。飢渇、悶極まって、熱気の野馬(= 蜃気楼)の如くなるを覩て、之を謂(おも)って水とし、復た往いて之に趣き、乃至、之を求むるに疲極して所見なし、思惟して自ら悟んぬれば、渇願の心息むがごとく、行者も亦た爾なり。若し智慧を以って我も無く、実法も無しと知るときには、是の時に顛倒の願、息む。聲聞経の中には、此の乾闥婆城の喩(たとえ)なし。又た城を以て身に喩えて、此の衆縁(= 五蘊)は実有なり、但し城は是れ仮名(prajñapti)なりと説く。吾我(ātman)を破せんが爲の故に。菩薩は利根にして深く諸法の空の中に入るが故に、乾闥婆城を以て喩とす。
『大智度論』巻第六
如12犍闥婆(103b02)城者。日初出時見城門樓櫓宮殿行人出入。(b03)日轉高轉滅。13此城14但可眼見15而無16有(b04)實。是名揵闥婆城。有人初不見揵闥婆城。(b05)晨朝東向見17之。意謂實樂疾行趣之。轉近(b06)轉失日高轉滅。飢渇悶極見熱氣如野馬。謂(b07)之爲水疾走趣之轉近轉滅。疲極困厄至窮(b08)山18狹谷中。大喚啼哭聞19有響應。謂有居(b09)民求之疲極而無所見。思惟自悟渇願心(b10)息。無智人亦如是。空20陰界入中見21吾我及(b11)諸法。婬瞋心著。四方狂走求樂自滿。顛倒(b12)22欺誑窮極懊惱。若以智慧知23無我無實(b13)法者。是時顛倒願息。復次揵闥婆城非城。(b14)人心想爲城。凡夫亦如是非身想爲身非(b15)心想爲心。問曰。一事可知何以多24喩。答(b16)曰。我先已答。是摩訶衍如大海水。一切法盡(b17)攝。摩訶衍多因縁故。多譬喩無咎。復次是(b18)菩薩甚深利智故。種種法門種種因縁種種(b19)25喩壞諸法。爲人解故應多引26喩。復次(b20)一切聲聞法中無揵闥婆城喩。有種種餘無(b21)常喩。色如聚沫27受如泡想如野馬。行如(b22)芭蕉識如幻及幻網。經中空譬喩。以是揵(b23)闥婆城28喩異故。此中説。問29曰。聲聞法中以(b24)城喩身。此中何以説揵闥婆城喩。答曰。聲(b25)聞30法中城喩衆縁實有。但城是假名。揵闥婆(b26)城衆縁亦無。如旋火輪但惑人目。聲聞*法(b27)中爲破吾我故以城爲喩。此中菩薩利根(b28)深入諸法空中故。以揵闥婆城爲喩。以是(b29)故。説如揵闥婆城。(太字表記は引用される個所を示す)
『大日経疏』では、『大智度論』は省略して引用されています。ここでは、乾闥婆城のたとえの意図が、声聞経(= 阿含経)の中での所説と異なることに注意してください。『大智度論』の下線部は引用されていませんが、「犍闥婆城(の喩)は、衆縁の亦た無きこと、旋火輪の如く、但だし人の目を惑わす」と訓読されます。
『大日経疏』巻第三 乾闥婆城のたとえの意図
此中言悉地(608a07)宮。有上中下。上謂密嚴佛國。出過三界非二(a08)乘所得見聞。中謂十方淨嚴。下謂諸天脩羅(a09)宮等。若行者成三品持明仙時。安住如是悉(a10)地宮中。當以此喩觀察。如海氣日光因縁。邑(a11)居嚴麗層臺人物燦然可觀。不應同彼愚夫。(a12)妄生貪著。求其實事。以此因縁。於種種勝妙(a13)五塵中。淨心無所罣礙也。
此の中に悉地宮(しっじぐう)というに、上中下あり。上は謂わく、密嚴佛國、三界(欲界、色界、無色界)を出過して、二乘の所得見聞に非ず。中は謂わく、十方の淨嚴(= 佛国土。他受用身の国土)、下は謂わく、諸天、脩羅宮(*bhavana)等なり。若し行者(= 真言門の瑜伽行者)、三品の持明仙(*vidyādhara)と成らん時、是の如くの悉地宮の中に安住せば、まさに此の喩を以って観察すべし。海気(かいけ)、日光の因縁をもって、邑居(ゆうこ)、嚴麗にして層台、人物、燦然として観つべきが如く、彼の愚夫の妄りに貪著を生じて、其の実事を求むるには同ずべからず。此の因縁を以って、種種の勝妙五塵(= 五つの感官の対象)の中に於いて、淨心(浄菩提心の向上の妨げとはならない、すなわち)、罣礙する所なし。
乾闥婆城のたとえをもって、真言念誦による悉地の場景を教えようとしているようです。ここでは、乾闥婆城が「実体のないもの」である以上に、乾闥婆城にたとえを用いて、「種種の勝妙五塵(= 悉地の場景)の中に於いて、淨心、罣礙する所なし」とするのです。
「真言行者が道場観に住する時、忽ちに密厳世界となり、七宝荘厳の楼閣を生ずることもあるが、乾闥婆城の観を修して衆縁和合の相(すがた)なりと達観すべし、」泰廣師『大日経講伝』、「悉地とは、持明悉地および法佛の悉地を明かす。大空位とは、法身は大虚に空に同じて無礙なり、(衆縁和合の)衆象を含じて常恒なり。」『即身成仏義』