尊者マハー・カーシャーパが、弥勒の出生を待ってその身を留められている(入定留身)とされる鶏足山の場所は、既に特定されています。それは、椎野能敬上人(1942~1982)の現地調査によることであることは、いくつかの記事に記されている通りです。
法性寺さま住職ブログ2024年5月26日「鶏足山(グルパ山)インド」には、以下のようにあります。
その山の位置は、長らくラージギルとブダガヤの中間にある山とされていましたが、椎野能敬上人は玄奘の『大唐西域記』の記述にそぐわないと、他説の山を探索された結果、南方のグルパ山が鶏足山であるとつきとめられました。 81年4月に上人の「鶏足山参詣記」が宗教雑誌『大法輪』に掲載され、広く知れ渡るようになりました。
まず「ラージギルとブダガヤの中間」とは、「ラージギルはブッダ布教の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。この一帯にはマガダ国の首都・王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)、仏教史上最初の寺院と考えられる竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)、説法の舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)、多宝山、第一結集が行われた七葉窟(ななようくつ)などの旧跡があります。また、ナーランダ大学まで15km、ブッダガヤまで70kmほどという位置関係です。」(仏教で心と身体を整える 寺院センター「ラージギル – ブッダ布教の地(王舎城)」
という記述が参考になります。
『大唐西域記』には、「莫訶(maha)河東入大林野。行百餘里至屈屈(b25)33居勿反吒播陀山<唐言雞34足>亦謂窶盧播陀(*gurupada)山<唐言尊*足>
「マハー河より東して大林野に入り、行くこと百余里でクックタパダ(原注:唐に鶏足と言う)に至る。またグルパダ山(原注:唐に尊足と言う)とも言う。」とあります。
椎野能敬上人については、その著書『インド巡礼1089日 椎野能敬遺稿集』を紹介する松本榮一氏の記事「『インド巡礼1080日—椎野能敬遺稿集—』という本を頂いた」には、
この本の著者、椎野能敬さんはインドで客死した旅の僧侶です。インド各地の仏教遺跡を十数年に渡って調べていた旅の僧侶でした。最後はインド・ビハール州の小さな駅チャッカルダルプールで亡くなりました。1982年の10月のことでした。享年39歳でした。
とありました。さてそのグルパ山の場所ですが、
ガヤーの東南、およそ40キロメートルに位置する(ビハール州・グルパ・ヒル)とのことです。地図は、『法顕伝・宋雲行紀』長沢和俊訳注、東洋文庫、平凡社1971, p.56に記載のものです。
地図は、anezakimanのアブダビ日記 20230703「インド共和国(ビハール州・UP州・デリー)旅行記・前編」
『高野山時報』平成24年2月21号、同年4月11日号には、龍象寺住職 浅井證善氏の「尊足山(=足山)参詣と霊鷲山清掃の旅」があり、詳しい情報が得られます。
インドを満喫「ブッダガヤからグルパヒルへの日帰り旅行」には、ガイド・ツアーの広告もあり、実際に、グルパの丘の頂上に登ることもできるとのことです。
以上のような地図上の位置関係を念頭において、再度関連文献を読んでみようと考えています。(考察は遅々としたものです。)