『大日経』住心品 六十心 師子心、鵂鶹心、烏心

 

(36)云何んが師子心(siṃha-citta)。謂わく、一切の無怯弱の法を修行す。

Tib. seng ge’i sems gang zhe na / gang thams cad zil gyis gnon pa sten pa’o //

獅子のような心とは何か。すべてを威圧する(to overcome, vanqish)ことに依り従うことである。

 

(37)云何んが鵂鶹心(くるしん。ulūka-citta)。謂わく、常に暗夜に思念す。

Tib. ‘ug pa’i sems gang zhe na / gang mtshan mo sems pa’o //

梟のような心とは何か。(すべては)夜間に、と考えることである。

 

(38)云何んが烏心(kāka-citta)。謂わく、一切処に驚怖の思念あり

Tib. bya rog gi sems gang zhe na / gang thams cad du skrag pas sems pa’o //

烏のような心とは何か。すべてにわたって怯えをもって考えることである。

 

『大日経疏』巻第二 住心品 師子心

如師子(c10於諸獸中。隨所至處皆勝。無有怯弱。此心亦(c11爾。於一切事中。皆欲令勝一切人心不怯弱。(c12自心謂無有難事。莫能與我觕其優劣*者。若(c13自覺知已。當發釋迦師子心。當令一切衆生(c14遍勝。無有優劣。是所對治。

 

師子の(= 獅子は)諸獣の中に於いて、所至の処に随って皆な(= すべてに)勝れて怯弱(こにゃく。怯は、おびえる、おじける、の意)あることなきが如く、この心も亦た爾なり。一切の事の中に於いて皆な一切の人に勝れ、心、怯弱せざらしめんと欲い、自心に難事(なんじ。難しくできそうにもないこと)あることなく、能く我れとその優劣を称(たくら)うる者なからしめんと謂(おも)えり。もし自ら(、われは勝れていると)覚知し已りなば、まさに釈迦師子の心(仏さまの、獅子のような心)を発すべし。(そして)まさに一切衆生をして、遍く勝れて優劣あることならしむべし。是れ所対治なり。

 

自身に向けられた、相対的な獅子のような心を、生けるものすべてを活かそうとする釈迦師子の心へと向上させること、を説いています。

 

『大日経疏』巻第二 住心品 鵂鶹心

此鳥於大明中無所(c16能爲。夜則六情爽利。若行者晝日雖有所聞。(c17誦習昏憒不得其善巧。至暗夜思憶所爲之(c18事。重復籌量便得明了。乃至修禪觀等。亦以(c19暗處爲勝。若覺知已。當念等於明暗。令所作(c20意無晝夜之別。是所對治。

 

この鳥(= 梟、みみずく)は大明の中に於いては、能く爲す所なく、夜はすなわち六情(= 六根)爽利なり。もし行者、昼日(ひる)は所聞ありと雖も、誦習するに昏憒(= 黄昏)にして、その善巧を得ず。暗夜に至んぬれば、所爲の事を思憶し、重ねて復た籌量するに、便ち明了なることを得。乃至、禅観等を修するに、亦た暗処を以て勝れたりとす。若し覚知し已んなば、まさに等しく明暗に於いて作意する所、昼夜の別ならしめんと念ずべし。是れ所対治なり。

 

梟、みみずくが夜行性であることを念頭において、ある種の心の傾向、習性を指摘しています。

 

『大日経疏』巻第二 住心品 烏心

如烏鳥若人善心(c22附近惠養。或時伺13求其便。倶生猜畏之心。(c23一切時性常如是。此心亦爾。雖善友欲爲饒(c24益及陷14誤之者。一概猜阻而懷疑懼。乃至持(c25戒修善時。亦於生死懷驚怖心。若覺知已。當(c26)修安定無畏心。是彼對治。

 

烏鳥の、もし人、善心をもて附近し惠養し、或る時には、その便(たより)を伺求するに、倶に(いずれの場合であっても)猜畏の心を生じ、一切時に性、常に是の如くなるが如く、この心も亦た爾なり。善友の(= 善知識が)饒益をなさんと欲する、及び(= あるいは)之れを陥誤する者なりと雖も、一概に猜阻して疑懼を懐き、乃至、戒を持ち、善を修する時にも、亦た生死に於いて驚怖の心を懐く。もし(みずからにこのような習性があることを)覚知し已んなば、まさに安定無畏の心を修すべし。是れ彼の対治なり。

 

烏心(烏のように、何ごとにも怯える心)について、宮坂宥勝先生は、「真言の実践者は、世間のいかなるものにも驚怖心(きょうふしん)を抱くことなく安穏でなければならない」と記しています。