『大日経』住心品 六十心
(21)云何んが商人心(vanic-citta)。謂わく、初には收聚して、後には分析する法に順修す。(/初には收聚して、後には法を分析するに随順す。)
Tib. tshong pa’i sems gang zhe na / gang bsdu ba byas te rnam par sphel nas phyis sten pa’o // 商人の心とは何か。集めて、増やしてから後に付き従うこと。
(22)云何んが農夫心(kārṣika-citta)。謂わく、初に広く聞いて、而して後に求むる法に随順す。(/初に広く聞いて、而して後に法を求むるに随順す。)
Tib. zhing pa’i sems gang zhe na / gang thos pa rnam pa du ma tshlol zhing phyis sten pa’o // 農夫の心とは何か。聞いた多種のことを考察して後に付き従うこと。
『大日経疏』巻第二 六十心 (21)商人心
第廿一(597c03)云何商人心。謂順修初收聚後分拆法者。如(c04)世商人先務儲聚貨物。然後思惟分析之。此(c05)物當某處用。彼物當7其處用。可得大利。若(c06)行人先務内外學問。令周備已方復籌量。此(c07)是世典當如是處用。此二乘法用應接某人。(c08)此大乘資糧是某縁所要。此名商人心。亦*由(c09)先習使然也。修捷疾智是彼對治。謂隨聞何(c10)法。即應觀彼因縁事用。豈待多聞蓄聚。方求(c11)用處耶。
世の商人の、先ず務めて貨物(けもつ。品物)を儲聚して(蓄え集めて)、然して後に之れを思惟し分析して、この物をば某の処の用に当て、彼の物をば其の処の用に当てて、大利を得べしというが如く、若し行人、先ず内外の学問を務めて周備せしめ已って、方に復た籌量(数えはかる、こと)すらく、これは是れ世典(外典。仏教以外の書物)なり、是の如くの処の用に当て、これは二乗の法なり、用いて某の人を接すべし。これは大乗の資糧(saṃbhāra)なり、是れ某の縁の所要なりと、これを商人心と名づく。亦た先習によって然らしむるなり。捷疾(しょうしつ。迅速)の智を修する(は)、是れ彼の対治なり。謂わく、何れの法を聞くに随っても、即ち彼(= 教法)の因縁の事用(じゆう。働き)を観ずべし。豈に多聞の蓄聚を待って、方に用処を求めんや。
ここでは、二つのことがらを記されているようです。まずは、「商人心」とあるように、ものを手に入れることは後に販売し、儲けるためであり、決して自らのものとしない、すなわちそのものの価値をもって自己を向上させることはしないということ。もうひとつは「捷疾の智」とあるように、教えを聞くにしたがって、迅速に実修することです。
『大日経疏』巻第二 六十心 (22)農夫心
如學稼者詢問老農。云何知地(c13)良美。云何耕植耘耨。云何候時。云何獲藏。如(c14)是一一知已方就功力。此心亦爾。先務諮承(c15)智者。廣聞道品。然後行之。皆宿習使然也。以(c16)利智爲所對治。如聞諸蘊無常。即知界入縁(c17)起9等其相例皆爾。又如毒箭入體。豈得俟三(c18)農月廣問。而後拔之耶。
稼(耕作、の意)を学ぶ者の、老農に詢問すらく、云何んが地の良美を知り、云何んが耕植し、耘耨(草を取り除く、の意)するや。云何んが時を候(ま)ち、云何んが獲(か)り藏(おさ)むる、是の如く一一に知り已って方に功力に就くが如く、此の心も亦た爾なり。先ず務めて智者に諮承し、廣く道品(bodhipakṣya菩提分。さとりへの手段)を聞いて、然して後に之れを行ず、皆な宿習の然らしむるなり。利智(鋭利な智)を以って所対治とす。諸蘊無常なりと聞くが如きは、即ち(十八)界・(十二)入、縁起(生)等もその相(は)、例して皆な爾(しか)なりと知る。又た毒箭(の)体に入るが如きは、豈に三農の月(春・夏・秋の農繁期)を俟(ま)って、広く問うて、而して後に之れを拔くことを得んや。
農夫心は、先の商人心に指摘される第二番目の意味を有しているようです。ただし、所対治となるのは、前者は捷疾の智とあり、後者は利智(鋭利な智)とあり、少し表現が異なっています。
なお、刺さった毒箭は、その成分等の分析、射た者等の詮索よりも、ただちに抜くことが先行されるということ。毒箭を抜かなければ、いずれそのうちに死んでしまうから。この場合、毒箭は生老病死等の苦をたとえ、苦に対する正しい対処方法、すなわち、四聖諦を説くための教えをいいます。(「『中部』第63経PTS Text,MN.Vol.1,pp.426-432、漢訳「中阿含」221経、大正蔵第一804a~805c、『箭喩経』大正蔵第一917b-918b)