本日のお葬儀のときのできごとからお話しいたします。
故人は91歳の女性で、ご主人さまがお亡くなりになられたのが二十年ほど前のこと。喪主はその息子さま。お孫さま、ひ孫さまを含め多くのお方のご参列でした。受戒等の引導の作法が終わって、読経に入る前、いったん立ち上がって、下炬文(あこもん)という法語を新精霊に示します。それを読み終わって、棺の上に献(ささ)ぐのですが、お棺の上には、通常の献花の花束のほか、幾通もの手紙が並んでいます。かなり古いお手紙です。宛先は故人さまです。もちろん、これはご結婚する前に、ご主人さまが奥さまに送られたお手紙です。読経も終わり、出棺前のお花入れのお花と一緒にそのお手紙はお棺に入れられました。おばあちゃんは、大切にとっておいたのでしょうね。家族さまはそれを開くことはなかったようです。
「お手紙」にちなんで、お塔婆のお話しをいたします。
お塔婆は、家族さまから、故人さまへの「お手紙」ですよ、という説明をときどき聞きます。石材屋さんが用い、僧侶の中でも、そのようにお話しするお方がいらっしゃるようです。お塔婆の裏面に施主のお名前、表面にはお戒名として故人さまのお名前があることからの発想なのでしょう。どなたがそれを言い始めたのか、詮索することはいたしませんが、私としてはいただけません。お塔婆の建立は、施主さまには善根の功徳を積む機会となり、故人さまにはその功徳の廻向を受けとっていただくというのが本義です。これ以上のお話しは蛇足となりますから、空海弘法大師のお考えをご紹介しておきましょう。
それ諸仏の事業(じごう)は大慈をもって先とし、菩薩の行願(ぎょうがん)は大悲をもって本(ほん。基本、ものごとの始まり)とす。抜苦(ばっく。悲)与楽(よらく。慈)の基、人に正路(しょうろ。仏道)を示すことなり。正路に二種あり。一には定慧門(禅定を修し、智慧prajñāを得る道)、二には福徳門(布施等の行いを通して、福徳puṇyaを積む道)なり。定慧(じょう・え)は正法(正しい教えdharma)を聞き、禅定を修するをもって旨とす。福徳は仏塔(stūpa)を建て、仏像を造るをもって要とす。三世の諸仏、十方の薩埵(= 菩薩)、みなこの福智を営みて仏果(ぶっか)を円満す。
お塔婆の建立は福徳となり、そして定慧に資することを願って、読経(読経中はともに禅定を修し)、そして適切な法話(法を説き、聞いていただく)が、僧侶の務めとなるのです。
大師のご文章は、次のことばで締めくくられています。
所生の(仏塔建立の)功徳[は]、万劫にして(= 久しく)広からん。四恩(父母、衆生、為政者、三宝の恩)は現当(現世と当来世)の徳に飽き(= 満足し)、五類(の諸天)は幽顕(直接・間接)の福を饒(ゆたか)にせん。同じく無明を郷(さと。輪廻の生存)を脱し、斉(ひと)しく大日の殿(さとりのマンダラ界)に遊ばん(= 至る)。敬って勧む。 承和元年(834)八月二十三日
「勧進して仏塔を造り奉る知識の書 一首」『性霊集』巻第八