本日朝のお勤めとして、理趣経を読誦しました。

お寺は、元・天台宗の寺門派の単立寺院ですから、普段、理趣経はお唱えしません。本日、理趣経を読誦しました。あらためて理趣経は良いお経だなぁと感激しました。

 

まずは“読誦経典”としても勝れています。いつもは、お堂で一人、勤行を行っているのですが、本日読経が終わり、振り向くと、お二人の参列者がいらっしゃいました。「今朝はどうもありがとうございます」とおっしゃってくださいました。“読誦経典”として理趣経はお人を呼ぶ、そして神仏を集会せしめる、すなわち、マンダラを形成する勢いがあるのです。

 

また“内容”もいい(「初中後善」)のです。理趣経は、ものごと(諸法)の本質を語っています。各段ごとに、さまざまな個性(普遍的個性)を持った仏さまが登場し、それぞれの見方、それぞれに体得されたお悟り、すなわち三摩地法門からものごとの真実が明かされています。

 

また理趣経の特徴のひとつとして、貪瞋痴をはじめとする煩悩、とくには“貪欲”、異性に対して抱く“愛欲”の働きを語ります。すなわち、ものごとの真実を明かした上で、私たちは何をなすべきなのかを語っているのです。

 

泰廣先生は、理趣経に対して「いのち漲る」という形容詞を付して講演されたことがあります。また理趣経を読誦するときは、ほとけさまとキャッチボールをしているという感じでお唱えしなさい、とも、私に“こっそりと”教えてくださいました。理趣経をお唱えしながら、各段ごとに印を結び、一字真言を発します。(これは、ひとつの「伝」です。)“キャッチボール”という表現は、理趣経の読誦は三密行である、ということなのです。

 

本日は、先生の満中陰の日となります。私は、こちらで日々のお勤めがあります。勝手をいたしますが、先生、これからも宜しくご指導お願いいたします。

合掌