形と心 切磋琢磨 上廣榮治『こころの泉』よりpp.31-33
※今回は、太字表記したところが引用した本文です。
倫理(道徳、すなわち人徳、良き人格)を身につけるには、形から入るのが鉄則である、といわれます。こういえば、なんだか窮屈に感じられるかもしれませんが、 その形を超えて自由闊達な生き方ができるようになってはじめて、本当の倫理(道徳、人徳、良き人格)が身についたと言えるのです。いわば、学ぶ姿勢や成長の過程を表わした「守(しゅ)・破(は)・離(り)」のようにです。
人間は指導のされた方次第でどのようにでも変わっていくとあります。倫理・道徳に限らず、茶道や武道などでも、道(みち、どう)を極めるには謙虚さがことのほか重視されなければなりません。
自ら努力して、自分自身を磨くことも大切ですが、お人から教えをうけて、お人に磨いてもらっていると受けとめること、それが切磋琢磨の意味だというのです。切磋琢磨には「互いに」ということば(副詞)が似合います。互いにお互いを自ら高め合う、そんなコミュニティー、世の中であるよう努めます。
かつての仏教僧団(サンガ、和合僧)が、それを実現させました。そして、現代でも、形、制度を変えながらも維持されています。学校や会社もそうあってほしいのです。
修行のために共同生活を送りながら、個人、個人が、他者からの指導をうけながらも、その人の責任において、自らを高めるそれは、空間的には閉じられたものではあっても、情報としては開放されている。すなわち、そこで何が行われているかが、外部からもよく知られている。そしてそのコミュニティーが、外部に対してどのような有益のことがらを齎しているのかもです。そんなコミュニティーをです。