「老人」「蛇」についての考察
次いで、宇賀神と「蛇」の関係について考えます。『金光明経』においては「蛇」を弁才天と結びつける記述はないようです。まずは、宇賀神と「蛇」との結び付きは、日本において生じたことである仮定しておきましょう。そこで注意されるのが、宇賀弁才天に関する経典に「宇賀耶」という表記があることです。なぜなら「宇賀」ではなく、「宇賀耶」について、江戸時代中期の国学者・天野信景が享保二年(1717)にまとめられたとされる随筆集『鹽尻』に「按に(私が調べたところでは、の意)、宇加耶は梵語にして白蛇と訳す」とあるからなのです。この理解を、鎌倉中期ころまでには成立していたであろう『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』にも当てはめることが許されるのなら、それは天龍八部衆、または千手観世音の眷属である二十八部衆に数えられ、頭に蛇を載せる「摩睺羅伽」(まごらがMahoraga)であることになりましょう。「摩睺羅伽の頭の上に載る蛇は、宇賀弁才天の頭の上の宇賀神と同様、とぐろを巻いて鎌首をもたげている」(森雅秀前掲書pp.241-242)とあり、「宇賀耶」はウラガ(uraga)の(やや不確かな)音写であることになります。でも、摩睺羅伽の頭の上に載る蛇は「老人の姿はしてい」ません(森前掲書)。(付記:なお、潮音『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経略疏』は、「宇賀耶は梵語、すなわち、天女の号なり」七表、と困惑させる解釈が記されています。)
つづいて「老人」についての考察です。七福神の中で「老人」といえば、寿老人さまと福禄寿さまです。福禄寿さまは「福」(幸福。特に子孫に恵まれることを意味)、「禄」(身分・財宝。金銭に恵まれる)、「寿」(長寿、健康)とその名の通りの神さまですが、そのご出身は中国で、道教の信仰に由来するとのことです。でも、その神さまにもご真言があり、「おん まかりし そわか」というそうです。(はじめて知りました。)「まかりし」とはMahāṛṣi(偉大なる聖仙、賢者)という意味です。「老人」の姿が「仙人(聖仙)」を意味するなら、胎蔵現図曼荼羅・虚空蔵院において、千手観世音の脇侍として、その向かって右にいらっしゃる「婆籔仙」に他なりません。(森前掲書pp.237-238)「婆籔」の原語をVaṣiṣṭhaとして紹介されることもあるのですが、義浄訳『金光明最勝王経』において、弁才天は「婆蘇大天(Vāsudeva.ヴァースデーヴァ。ヴィシュヌの化身であるクリシュナの異名)の妹」(§7)とあったからなのです。(「婆籔仙」については、再び、胎蔵マンダラをご紹介する際に考えなおしてみましょう。)
「老人」のお姿の意味には、「仙人(聖仙)」の意味があり、さらには、おそらく「福禄寿」にみられる功徳をも含んでいることなのでしょう。それが「蛇」と結びつき、「摩睺羅伽」に由来したところの「蛇」がバージョンアップして、その姿に、宝物、それは財宝のみでなく、仏法僧の三宝を守る(大乗経典を伝持した龍Nāgaのように)という意味をも担っているのでしょう。わたしが必要とする「老人」「蛇」についての考察はひとまず、以上です。
弁才天について取り上げてみたいもうひとつのテーマは、やはりその功徳についてです。功徳については、多くさまざまで、すでにご紹介済みなのですが、その功徳をいまいちど、歴史的な発展という時間差を意識して考察することで、新たな弁才天の姿が捉えられるのではないかと期待するからなのです。データはほとんど皆さまと共有できています。
(病院から帰り、忘れないうちに作文しました。)