通常、私たちが対象とする、すなわち本堂の厨子の納められている「大弁才天女」(Sarsvatī mahādevī)は、「宇賀弁才天」(正式には「大弁財天宇賀神将」)とよばれるお姿をしています。

 

『弁財天勤行儀』の構成は以下の通りにあります。

 

先ず礼拝<合掌三礼>

次に懺悔文<合掌三返>

次に浄三業ノ真言<合掌三返>

次に三帰依文(もん)<合掌一返>

次に讃歎偈(さんだんげ)<合掌>

次に発願文(ほつがんもん。「至心発願 唯願大日 本尊聖者 大弁財天 宇賀神将」云々とあります)<合掌>

次に開偈偈<合掌>

摩訶般若波羅蜜多心経、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈、

次に大弁財天讃偈

次に金光明経大弁財天女品

次に弁財天真言<千返、百返>

次に心呪真言(ヲン、宇賀耶、ジャヤ、ギャラベイ、娑婆訶)<百返、二十一返>

次に廻向文<合掌>、次に礼拝<合掌三礼>

 

宇賀弁才天の特徴としては、多く指摘することができるようですが、ここでは、八臂それぞれの持物(じもつ)と、いわゆる、「宇賀神」と呼ばれ、人頭蛇身で蜷局をまく神形が特に注目されます。

 

ここでは、

『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経略疏』上野州黒瀧嗣祖沙門 潮音(ちょうおん。1628-1695)撰述(京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)

『大弁才天秘訣』浄厳(じょうごん。1639-1702. Wikipedia「浄厳」の項)

 

(参照)潮音旧跡―SHINDE

潮音(ちょうおん)(1628-1695)は、江戸時代の臨済宗の僧。黄檗宗黒瀧派の祖。肥前出身。楠田氏。隠元の弟子の木庵性瑫に師事。徳川綱吉に請われて、関東初の黄檗宗寺院である館林広済寺を創建。伊雑宮神職の永野采女とともに、偽書とされる『先代旧事本紀大成経』を出版。伊雑宮こそ本当の伊勢神宮であると主張して処罰された(大成経事件)。黒滝・不動寺を創建し、黄檗宗黒瀧派の祖となった。潮音道海。

 

を用いてご紹介いたします。『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経略疏』は、

『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』

『仏説即身貧転福徳円満宇賀神将菩薩白蛇示現三日成就経』

『仏説宇賀神王福徳円満陀羅尼経』

という大弁財天女についての三種の経典に対する註釈からなります。

 

宇賀弁才天のお姿について、『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』には次のようにあります。

 

宇賀神王(= 大弁才天を指す)、座中よりその形[を]顕現したまう、天女の如し。頂上に宝冠有り、冠中に白蛇有り、その蛇の面(おもて)[は]、老人の如くにして、眉白し、(これすなわち、諸仏の出世ごとに、逢い奉りて、衆生を利益すること、年久しき瑞相なり。)復たこの神王(= 大弁才天)は、身、白蛇の如く、白玉の如し。八臂有り。左の第一は宝珠、第二は宝鉾、第三は輪宝、第四は宝弓、右の第一は宝剣、第二は宝棒、第三は印鑰、第四は宝箭[なり]。

 

この八臂それぞれの持物を、「大弁財天讃偈」(義浄訳『金光明最勝王経』「大辯才天女品」第十五より)「各持・刀・矟・斧・長杵・鉄輪并羂索」と比較すれば、宇賀弁才天の場合は、戦具という理解ではなく、「宝」という字がすべての持物に付加されていること、そして特に、宝珠(如意宝珠)と「印鑰」(「宝鑰」)がその特徴的な持物として指摘することができるようです。

 

つぎに、八臂それぞれの持物に対する註釈文を参照しましょう。まず、

 

高野大師のいわく、八臂を具足するは八大観音の総体なり。

 

という一文があり、それぞれの持物と「八大観音」との対応、その功徳が示されます。(  )内の記述は、著者・潮音がその根拠として挙げる、伽梵達摩譯『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』(大正No. 1060) の経文です。

 

 

左の第一は宝珠の手は如意輪観世音、貧賤の身を離れて富貴の報を成せしむ。

(若し種種の珍寶・資具を富饒せんがためには、當に如意珠の手に於いてすべし。)

 

第二の宝鉾の手は馬頭観世音、横殃の難を離れて丈夫の相と成せしむ。(若し他方の逆賊を辟除せんがためには、當に寶戟の手に於いてすべし。)<鉾と戟、字義同じ>

 

第三・輪宝の手は凖(ママ)胝大悲観世音、醜陋の相を離れて敬愛の報を成せしむ。

(若し今身より佛身に至るまで、菩提の心、常に退轉せざるがためには、當に不退金輪の手に於いてすべし。)

 

第四・宝弓の手は、大悲大聖観世音、刀杖の難を離れて安楽の報を成せしむ。(若し、榮宦[経本文は官]益職のためには、當に寶弓の手に於いてすべし。)

 

右の第一・宝剣の手は大悲千手観世音、愚癡の罪を離れて弁才の相を成せしむ。(若し、一切の魍魎鬼神を降伏せんがためには、當に寶劍の手に於いてすべし。)

 

第二・宝棒の手は十一面観世音、呪詛の難を離れて無病の報を成せしむ。(若し一切鬼神を使令せんがためには、當に髑髏杖の手に於いてすべし。)

 

第三・宝鑰の手は不空羂索観世音、盗賊の難を離れて聖王の位を成せしむ。(若し口業辭辯巧妙のためには、當に寶印の手に於いてすべし。)

 

第四・宝箭の手は大悲白衣観世音、無間の業を離れて仏果の位を成せしむ。(若し諸善朋友、早く相逢のためには、當に寶箭の手に於いてすべし。)

 

これは是れ一切衆生の八識なり。復た荒神の八識なり。復た荒神の八意なり。

 

本日はここまでにしておきます。考察・分析については後ほど行います。