風界 五大をもって、一切智智の徳性にたとえる
『大日経』「住心品」
譬えば風界の、一切の塵(じん。rdul)を除くが如く、是の如く一切智智、一切の諸の煩惱の塵を除去す。
『大日経疏』巻第一
第四句(云譬如風界除一切塵。如是一切(586a21)智智。除去一切諸煩惱塵者。)如大風起時。煙(a22)雲塵霧一切消除。3大虚澄廓三辰炳現。蔚蒸(a23)熱惱衆生皆得清涼。能使卉木叢林開榮増(a24)長。亦能摧壞一切物類。又如風性遍無所依。(a25)自在旋轉無能罣礙。如來慧風亦復如是。
第四の句、大風の起こる時、(1)煙雲(えん・うん)、塵霧(じん・む)一切[を]消除して、大虚[= 大空は]澄廓(ちょうかく。澄みわたり、ひろく)にして、三辰(日・月・星)[は]炳現(へいげん)し、蔚蒸熱悩の衆生[は]皆な清涼なることを得(え)、(2)能く卉木、叢林をして、開栄(かいよう)し増長せしめ、亦た能く一切の物類(もつるい。草木の成長の障害となる何か。次節の「無明大樹」に対応する何か)を摧壞(ざいえ)するが如く、(3)又た風性の、遍く、所依なくして自在に旋転し、能く罣礙(けいげ。āvaraṇa)すること(、言いかえれば、[心が]覆われること)なきが如く、如来の慧風(= 一切智智)も亦復た是の如し。
風界の徳性として、三つが指摘されています。(1)除垢・清涼、(2)増長・摧壊、(3)無依・自在、の三つを数えます。「蔚蒸」の「蔚」は、草木のさかんにしげるさま。[類]鬱(ウツ)、あり(日本加持能力検定協会漢字ペディア)、「炳現」の「炳」は、光り輝くさま、あきらかなさま、とあります(デジタル大辞泉)。
「熱悩」は『大日経』巻第五「秘密曼荼羅品」第十一にも用例があります。「(31c06)種智離熱惱」(kun mkhyen bsnyun dang bral ba po // Hattori, p.291)、「(32a12)正覺一切智 離熱惱世尊」(de nas kun mkhyen rdzogs sangs rgyas // bcom ldan bsnyun dang bral ba yis // Hattori, p.294)
滌(a26)除一切障蓋煩惱遊塵。令證涅槃清涼法性。(a27)又復能令一切世出世間善法増長。摧壞無(a28)明大樹。拔其根本。而此無障礙力。都無所依。(a29)故以爲喩也。
(1)一切の障蓋(*nīvaraṇa)・煩悩(kleśa)の遊塵を滌除(できじょ)して、涅槃清涼の法性(= [本来]自性清浄涅槃)を証せしめ、(2)又復た能く一切世出世間の善法をして増長せしめ、無明(avidyā)の大樹を摧壊して、その根本(= 根っこ)を抜く、(3)而も此の無障礙(*anāvaraṇa)力は都て所依なし、故に以って喩とす。
風界の徳性としての三つ(1)除垢・清涼、(2)増長・摧壊、(3)無依・自在を、一切智智の徳性に当てはめます。「滌除」の「滌」は、あらう、すすぐ、汚れを落とす、とあります(漢字辞典ONLINE)。
「無障礙力」については、『大日経』巻第五「入秘密曼荼羅位品」第十三にも用例があります。「(前略)如來の信解願力より生ずる所の、法界幖幟の大蓮華王、出現して、如來の法界性身、其の中に安住し、諸々の衆生の種種の性欲に隨って、歡喜を得せしむ。時に彼の如来の一切支分に無障礙力(cis kyang mi tshugs pa’i stobs. Hattori, p.340)あり。十智力[を]信解より生ずる所なり。無量の形と色と莊嚴の相あり、無數百千倶胝那由他劫の布施・持戒・忍辱・精進・禪定・智慧の、諸度の功徳に資長せられる所の身、即時に出現す。」(36b17-23)