いま、あることばを思い出しています。

 

それは、だれかからお聞きしたことのようですが、私自身もそうように感じています。それは、

 

大切な方が亡くなられたことで、かえって、より身近になる。

いままでいてあげたくてもできなかったことが、これからは、いつでもできるようになる、

 

ということです。それは、次のように説明できます。

 

生前中には、何一つ満足に「親孝行」ができなかった私は、

 

父母のことを毎日、折に触れ思いだします。常に意識しているというのではないのですが、ときどき、とうしてだか、理由もなく思い浮かびます。そんなときは、心の中でも、必ず手を合わせます。こんなわずかなことで、両親によろこんでもらえると感じられるのです。

 

両親が亡くなってからも、親孝行は十分にできます、ということなのです。

 

何か美味しいものを買ったら、まずは、お仏壇にお供えする。私の場合はパン菓子が多いかしら。そんな意味かと受けとめています。

 

家族が仲良く元気なら、お浄土のお父さんもお母さんも心穏やかにして、よろこんでくださっている。

 

いま、先生のおそばにいます。先生は、いつも通りのお顔をしていらっしゃいます。私は横になって、うとうと、思い浮かぶまま、お経やご真言をお唱えしています。

 

先生と私の関係は、これからも一切変わらずです。でも、これからは、私が何をしでかしても、先生から叱られることはありません。十分に気を付けて、これまで以上に慎んで毎日を過ごさなければと考えています。😅

 

本日6時から、お通夜式です。

 

写真は。新神戸駅の広告看板です。

 

先生は神戸の街をとても誇らしげに

感じていらっしゃいました。