本日のご法要では『観音経』(『妙法蓮華経』「観世音菩薩普門品」第二十五)について、少しお話しを聞いていただきました。『観音経』には、何が書かれているのかということです。経文の中から、大切な部分をかいつまんでご紹介いたしました。
假使興害意(けしこうがいい)推落大火坑(すいらくだいかきょう)念彼觀音力(ねんぴかんのんりき)火坑變成池(かきょうへんんじょうち)
仮使(たとい)、[だれかが]害(そこな)う意(こころ)を興(おこ)して、[わたしを]大いなる火坑(かきょう)に推し落さんも、彼の觀音の力を念ぜば、火坑は変じて池と成らん。
若惡獸圍遶(にゃくあくしゅいにょう)利牙爪可怖(りげそうかふ)念彼觀音力 疾走無邊方(しっそうむへんぽう)
若(も)し悪獣に囲遶(いにょう)せられて、利(と)き牙爪(きば・つめ)の怖るべきあらんに、彼の観音の力を念ぜば、疾く方(はし)無き方に走らん。
とあります。なにそれ!! という内容です。でもその通り、観音さまは、私たちにとって、そのような存在なのです。つまりは
衆生被困厄(しゅじょう・ひこんにゃく)無量苦逼身(むりょうく・ひっしん)觀音妙智力(かんのん・みょうちりき)能救世間苦(のうく・せけんく)
衆生、困厄(わざわい)を被(こうむ)りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙なる智力は、能く世間の苦を救わん。
とある通りです。
また「眞觀、清淨觀(しんかん・しょうじょうかん)廣大智慧觀(こうだいちえかん)悲觀、及慈觀」(ひかん・ぎゅう・じかん)」とあり、観音さまは、五観の徳をそなえ、私たちのことを的確によくご存じであり(つまり隠し事はまったくできませんし、隠す必要もありません)、「妙音、觀世音(みょうおん・かんぜおん)梵音、海潮音(ぼんのん・かいちょうおん)勝彼世間音(しょうひせけんのん)」とあり、深まりのある、あたたかなお声で、私たちを励ましてくださっています。
観音さまは「於苦惱死厄 能爲作依怙」(おくのうしやく、のういさえこ)苦惱(くるしみ、なやみ)と死厄(しのわざわい)とにおいて、能く爲めに依怙(たより)作らん、とあるように、私たちひとりひとりを分け隔てなく「依怙贔屓(えこひいき)」してくださる、頼りとすべきお方なのです。ですから、私たちは毎日のつとめを安心して元気に行うことができるのです。すごいです。
でも、それだけではいけません。観音さまのご好意を受けるばかりではいけないのです。観音さまは素晴らしいお方ですから、わたしたちも、そのようになりたい、観音さまのようになりたい、と願うべきなのです。そんなこと無理ではないですかといわれそうですが、私の幼い頃は、ウルトラマン、ウルトラ・セブンの全盛期でした。ウルトラ・アイを目元にあてると、ウルトラ・セブンになれました。私を含め多くの友達も、ウルトラ・セブンになりました。あこがれの、格好いい存在であったからです。
『観音経』をお唱えすると、観音さまになれるのです、ウルドセブンのようには簡単ではありませんが、観音さまのようになりたいという心は生じるのです。それは「佛説是普門品時。衆中八萬四千衆生。皆發無等等阿耨多羅三藐三菩提心」とある通りなのです。
『観音経』は、観音さまのすぐれたお徳を讃えるとともに、私たちが観音さまのような存在になるよう力強く促しているのです。これ以上の、現世利益はありません。
忘れないうちに書き記しました。後ほど丁寧に読み返す必要があります。本日の夕方の勤行でも、『観音経』をお唱えしました。 合掌