釈迦佛頂(釈迦金輪)をめぐる、さまざまな尊格名

 

仏頂尊、特には「一字金輪」と呼ばれる仏頂尊について、正しく理解することを目指して、ここでは釈迦金輪に関する漢訳経典の中、最も初期の段階とされる、唐代・阿地瞿多訳[653-654年]『陀羅尼集経』十二巻のうち、第一巻<仏部巻上>「大神力陀羅尼経釈迦佛頂三昧陀羅尼品」(vol.18, 785b-795a)を改めて読んでみました。差し当たって参照すべき関連論文は、

 

頼富本宏「仏教パンテオンの構成」『宗教研究』第276号第1輯、日本宗教学会1988

佐々木大樹「『陀羅尼集経』所収の仏頂系経軌の考察」『智山学報』53巻2004

同「『陀羅尼集経』」高橋尚夫・木村秀明・野口圭也・大塚伸夫編『初期密教』春秋社2013

同「釈迦金輪研究序説」『智山学報』66巻2016

 

です。『陀羅尼集経』十二巻の概要について、佐々木[2013;57]には、次のようにあります。多少省略してあります。( )内は筆者の補いです。

 

(『陀羅尼集経』は)内容的に巻一から巻十一と、巻十二とに分けることができる。まず前十一巻は、仏部(巻一・二)、般若部(巻三)、観世音部(巻四・五・六)、金剛部(巻七・八・九)、諸天部(巻十・十一)といった尊格分類に基づき(配列され)、各巻は主題となる尊にかかわる因縁譚が説かれた後、儀軌として印契や心呪・陀羅尼、作像法や画像法、壇法などの複数の実践法が、ある程度、整理された形で説かれている。巻十二では、前十一巻をうけて体系的な七日作壇法とともに、諸尊を統合する「普集会壇」のマンダラが説かれている。

 

まず「大神力陀羅尼経・釈迦佛頂三昧陀羅尼品」一巻の書き出しは次のようにあります。

 

(785b12ff.)如是我聞。一時佛在舍衞國(Śrāvastī)祇樹給孤獨園。與大阿羅漢五千人倶。摩訶迦葉。優嚕毘羅迦葉(Urvilvā-kāśyapa)。伽耶迦葉(Gayā-kāśyapa)。那提迦葉(Nadī-kāśyapa)。舍利弗。大目揵連。難陀[。]阿尼嚕馱。阿若憍陳如。阿難陀。羅睺羅等而爲上首。復有無量大菩薩衆。普賢菩薩。曼殊室利菩薩。觀自在菩薩。虚空藏菩薩。彌勒菩薩。金剛藏菩薩。而爲上首。苾芻苾芻尼。優婆塞優婆夷。天龍藥叉迦嚕囉健達婆阿素羅緊那羅摩睺落伽等。復有無量諸大國王。輸頭檀王(浄飯王Śuddhodana)。波斯匿王(Prasenajit)。頻婆娑羅王(Bimbisāra)。梨車毘(Licchavi)等而爲上首。

 

ここに集会せる人物として、十六大国に数えられるマガダ、コーサラ等の国王の名、および、神通力の長けたカーシャパ三兄弟の名が含まれることが特に注意されます。釈尊とは、外道の尊者を調伏し、教化しうる存在であること、そしてあらゆる国王を統べる「転輪聖王」にも等しい存在であるということを暗示しているように受けとめられるからです。それがまさしく「仏頂尊」の仏格を表わすことにもなるのです。

 

上記の序分につづいて、以下のような記述があります。いわゆる「因縁譚」(釈迦佛頂の由来を述べる記述)です。

 

(785b23ff.)爾時六師外道謂。第一富蘭那迦葉(Pūrua-Kāśyapa)。第二摩斯迦利拏瞿舍梨子。第三散社伊倍羅胝子。第四阿質多雞 迦婆羅。第五迦倶多伽智那耶那。第六・尼乾陀若提子等。來詣佛所。(中略.785c6)佛世尊知會衆心。即入火光三摩地。從於上放無量光。照三千大千世界已。佛以自手作佛頂印。誦佛頂呪。於佛光中。化作無量阿僧祇殑伽沙那由他佛。其一一佛。於虚空中行住坐臥。各放無量光明。身出水火(いわゆる「双神変」)。現作種種佛威神事

 

仏頂」とは、仏世尊、すなわち釈迦如来の頂上(頭頂)にある頂髻相(ちょうけいそう)を意味します。頂髻相は、仏如来、そして転輪聖王に具わるとされる、三十二種のすぐれた身体的特徴(三十二相)の随一に数えられます。仏世尊・釈迦如来が、外道の尊者の調伏という意図をもって、「火光三摩地」という三昧(*tejodhātu.舎衛城の神変に由来する三昧名「火光定」)に入ると、自らの頂上(頂髻相)から無量の光が放たれ、三千大千のあらゆる世界を照らします。そして世尊が手に仏頂の印を結び、仏頂の呪を誦すると、こんどは、その光の中に無量無数の仏が化作され、その一々の仏は種々な仏の威神の事績が行われた、というのです。釈尊の頂髻相には、多大な功徳・勝れた威力がある、より正しくは、頂髻相は多大な功徳・勝れた威力の発生源であるという理解に基づいて「仏頂尊」があるのです。

 

ここに「佛頂の印」「佛頂の呪」とあることからすれば、釈迦如来によって化作された「無数の佛」のひとつひとつが「仏頂尊」(釈迦佛頂)なのでしょう。一方、(結論を先取りするようですが)後述される「金輪佛頂」の因縁譚では、その光明の中にあらわれる尊格は「帝殊囉施」(Tejorāśi:光聚・火聚)と名づくる「菩薩」となっています。「帝殊囉施」という名称は釈迦如来が入られた「火光三摩地」に由来するのでしょう。さらに「金輪」 (「金輪の一字の呪」) の存在をもって、釈迦仏頂は、帝殊囉施(帝殊囉施金輪佛頂)という名で「諸尊を統べる」尊格として位置づけられるのです。

 

ひとつずつ駒を進めていきます。次に「佛頂」と呼ばれる釈迦如来の姿を確認しておきましょう。(以下、儀軌vidhiの部分となります。)

 

(785c18)其作像法。於七寶華上結加趺坐。其華座底戴二師子。其二師子坐蓮華上。其佛右手者申臂仰掌當右脚膝上。指頭垂下到於華上(臂を申べ、掌を仰のげ、右脚の膝の上に当つ。指の頭を垂れ下し、華の上に到る)。其左手者屈臂仰掌。向臍下横著。其佛左右兩手臂上。各著三箇七寶瓔珞。其佛頸中亦著七寶瓔珞。其佛頭頂上作七寶天冠。其佛身形作眞金色。被赤袈裟。

 

釈迦仏頂は、七宝華(七宝所成之蓮華)の上に坐し、右手は与願なのでしょうか。左手は膝の上に乗せているようです(釈迦如来像・赤釈迦は、右手は施無畏となっています。東京国立博物館1089ブログ「特別展「神護寺」後期展示が開幕」参照)。「七宝」という語(「七宝華」、「七寶瓔珞」、「七寶天冠」)が見られます。ここでの七宝とは「世間に貴ぶ七種の宝玉」というほどの意味です。

 

経文は示しませんが、仏(釈迦佛頂)の右辺(向かって左)に觀自在菩薩(二臂。一本には、十一面觀世像とある)、左辺には金剛藏菩薩が配される三尊形式となっています。上部には華を散じる首陀會天を[観想し]、仏前の右辺には呪師が坐ります。

 

「作像法」につづいて、釋迦佛頂身印第一(「帝殊囉施」の語を含む佛頂心呪)をはじめとする32種の印と、それに用いる呪(25種)、そしてその作法、功徳等を述べつつ、「佛頂三昧曼荼羅法」(786c13)、「金輪佛頂像法」(790a22)、「止風雨」の法(790c28)、「仏頂八肘壇法」(793a25)などが説示されます。

 

1)釋迦佛頂身印につづく、あと31種の印の名称は次の通りです。

2)佛頂破魔結界降伏印呪、3)奉請印、4)蓮華捧足印呪<亦名花光印>、5)座印(請釈迦佛)、6)金剛藏菩薩印呪、7)十一面觀世音菩薩印呪(唵<一>阿嚧力<二>莎訶)、8)大三昧勅語結界印呪、9)那謨悉羯囉*namaskāra)印呪<唐云禮拜。下有讃歎呪>(那謨悉羯囉呪。禮拜印、讃歎三寶神力滅罪陀羅尼呪)、10)數珠印、11)佛頂頭印、12)佛頂轉法輪印呪、13)帝殊囉施金輪印呪(o<一>浮嚕那*bhrūṃ<二>嗚𤙖hūṃ<三>莎訶svāhā、14)帝殊羅施金輪佛頂心法印呪(𤙖<一>毘藍毘藍<二>嗚𤙖 hūṃ phaṭ<三>莎訶<四>)、15)放白光明佛頂印<亦云放十方光印>、16)[放]白光明佛頂印、17)若那斫迦羅(*jñānacakra)印呪<唐云智輪>、18)若奴瑟儞<二合>沙(*jñānoṇīa)印呪<唐云智頂>、19)迦黎沙舍尼印呪<唐云滅罪>、20)阿跋囉質多印呪<唐云無能勝>、21)釋迦牟尼佛懺悔法印呪、22)佛頂刀印呪、23)佛頂索印呪、24)佛頂縛鬼印呪、25)釋迦佛眼印呪、26)釋迦佛印、27)釋迦佛印、28) 釋迦佛印、29) 斫迦羅跋囉<上音>底(*cakravartin)印呪第二十九<唐云輪轉>、30)佛斫迦羅法印<已上元本竟已下二印呪後加之>、31)如來施衆生無畏法印呪、32)一字佛頂法呪(苾凌*bhri<去音長呼。梵本一字此土無字故二合呼>)

 

印の結び方、その功徳、そしてそれに付随するさまざまな作法については、ここでは触れられませんが、ただ注意すべきことは、これらの印名に1)「釋迦佛頂」、13,14)「帝殊羅施金輪佛頂」、32)「一字佛頂」という名称などが認められる、ということです。(15,16「放白光明佛頂」という呼び名をひとつの佛頂尊として数えていいのか多少疑問です。「釈迦金輪仏」第二院東面第四という名称「「仏頂八肘壇法」」中に見いだされます。794a17)また、13)帝殊囉施金輪印呪に用いられる呪に「浮嚕那」の表記があり、それをbhrūṃと解していいのか、いまだ確定することはできないとのことです。通常は「勃嚕唵」と音写されます。)

 

「金輪佛頂像法」は14)帝殊羅施金輪佛頂心法印呪に付随して述べられています。まずは、金輪佛頂の画き方です。

 

(790a23)欲畫其像。取淨白疊若淨絹布。闊狹任意。不得截割。

於其疊上畫世尊像。「身眞金色著赤袈裟。戴七寶冠作通身光。手作母陀羅(*mudrā)。結跏趺坐七寶莊嚴蓮華座上。其華座下竪著金輪。其金輪下畫作寶池。」遶池四邊作欝金華。及四天王各隨方立。其下左邊。畫作文殊師利菩薩。身皆白色頂背有光。七寶瓔珞寶冠天衣。種種莊嚴乘於師子。右邊畫作普賢菩薩。莊嚴如前。乘於白象[。]於其師子白象中間畫大般若菩薩之像。面有三目。莊嚴如前。手把經匣端身而坐。於佛頂上空中。畫作五色雲蓋。其蓋左右有淨居天。雨七寶華

 

この記述は金輪仏頂の尊容として、Wikipedia「一字金輪仏頂」の項目に紹介されるもの(「 」内の部分。2024/12/22投稿分)ですが、そのお姿の詳細はここでは示されていません。おそらく、先の「釈迦佛頂」と呼ばれる釈迦如来の姿と同じなのではないでしょうか。そして「金輪」は本尊の坐す華座の下にあります。現行の星マンダラ(の多く)は、本尊は定印を結び、その手の上に金輪をいただいています。なお、師子に乗る文殊師利、白象に乗る普賢菩薩、そしてその中間には大般若菩薩とあり、「仏を中心に左右に文殊、普賢の二菩薩を配する三尊形式」の最も古い経軌資料であると注目されますが、文殊・普賢は「其下」とあり、中尊と同列に配されているわけではないのでしょうか。

 

次は、金輪佛頂の由来を述べる記述です。まずは「帝殊囉施」という名の菩薩が出現します。

 

(790b26)爾時世尊起大慈悲。即於頂上肉髻相中。放五色光。遍照十方一切世界。於虚空中遊旋如蓋。其光明中有菩薩。名帝殊囉施。結加趺坐放大光明。身支節中各出火焔。口説神(790c1)呪。多者名曰大佛頂呪。少者名爲小佛頂呪。

 

その時[に]世尊[は]大慈悲を起こし、即ち頂上に於いて[その]肉髻相の中より五色光を放ち、遍く十方一切世界を照らす。虚空に中に遊旋すること、蓋の如し。その光明の中に菩薩有り。帝殊囉施と名づく。結加趺坐して大光明を放つ。身支節の中より各、火焔を出し、口に神呪を説く。多きは名づけて大仏頂呪と曰い、少なきは名づけて小仏頂呪と為す。

 

前述した、釈迦佛頂の由来を述べる記述では「無量阿僧祇殑伽沙那由他佛」とあったのですが、ここでは「帝殊囉施」という名の(一体の)尊格(菩薩)となっています。尊格としての形成のはじまりということです。次いで、世尊釈迦如来は、金輪という名の心呪を明かします。

 

(790c9)爾時世尊告觀世音菩薩。我有心呪名曰金輪(我に心呪有り、名づけて、金輪という)。最尊爲極(最尊にして、極とす)、更無過者(更に、過ぎる者無し)。唯佛與佛乃能知之(「佛與佛乃能究盡(諸法實相)」に類似する表現)。是呪能滅帝殊囉施并呪等法(是の呪は、能く帝殊囉施[菩薩]并に[他の]呪等の法を滅す)。汝等應當一心受持、生希有想。

 

その功徳は以下のようです。

 

(790c15)塵沙の衆罪、若しは軽、若しは重、悉く皆、消滅す。願、果さざること無く、速やかにまさに成仏すべし。此の陀羅尼は悉く能く一切諸の[呪]法を破す。更に上有ること無し。<此結印呪有人安在、此中本無>

 

【考察の結果のようなもの】

「帝殊囉施」と「金輪」との関係について、「帝殊囉施」が菩薩と称される場合と「帝殊羅施金輪佛頂」と称される場合、そして「仏頂八肘壇法」では「中心帝殊羅施鑠雞謨儞爲道場主(マンダラの中尊、の意)」(794b11)とあることから考えると、帝殊羅施金輪佛頂とは、マンダラの中尊とされる帝殊羅施であり、それは金輪の心呪の威力で(いったんは)姿を消した菩薩・帝殊囉施が佛頂尊・帝殊羅施として(新たに)姿を現わした尊格なのだということです。仏頂尊とは、釈尊の頂髻相を発生源とする尊格であり、また「金輪」の心呪は、まさしく釈迦如来の心中にあることは確かですが、道場主・帝殊羅施と第二院東面第四・「釈迦金輪仏」との関係はいかんとなれば、いまだ不明であるとしなければなりません。それを解消して、胎蔵マンダラでの中尊・毘盧遮那如来と東面・釈迦院の釈迦如来があると理解することもできるのかも知れません。また星マンダラの中尊である一字金輪(釈迦金輪、釈迦仏頂)を帝殊羅施と同体としていいのかということも、今後よく考えねばなりません。

 

最後に、「帝殊羅施鑠雞謨儞」について、ひとこと付しておきます。「鑠雞謨儞」を、あくまでも仮にですがŚākyamuni釈迦牟尼と読むことが許されるなら、『陀羅尼集経』における帝殊羅施はまさしく釈迦仏頂の別名であることになります。あるいは、Cakravartin金輪王に類する表現。いずれも無理かも知れません。いずれ解決方法を見つけます。

 

まずは、星供からはじまった、仏頂尊についての、私的な考察の第一幕は終わりとします。密教学者のお方による今後の研究の進展に期待いたします。