三密行・神通の秘車 『大日経』の深旨

 

入眞言門略有三事。一者身密門。二者語密門。三者心密門。是事下當廣説。行者以此三方便。自淨三業。7即爲如來三密之所加持。乃至能於此生。滿足地波羅密。不復經歴劫數。備修諸對治行。故大品云。或有菩薩初發心時。即上菩薩位得不退轉。或有初發心時。即得無上菩提便轉法輪。

 

「入真言門」(「真言門に入って」)に[ついて]略して三事(じ)あり。一には身密(しんみつ)門、二には語密(ごみつ)門、三には心密(しんみつ)門なり。是の事(じ)は下(しも)に当に広く説くべし。行者[は]この三方便を以て自(みずか)ら三業(さんごう)を浄むるときは、すなわち如来の三密のために加持せられて、乃至、能く此の生に於いて地(じ。十地)波羅蜜(はらみつ)を満足す(完備する、完成させる、の意)。復た劫数(ごっす)を経歴して(たとえば、三祇百大劫を経て)備さに(ひとつひとつ、の意)諸の対治(たいじ)の行(、すなわち、煩悩を断ずる道)を修せず。故に『大品』(鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』卷第二「往生品第四」)に云く、或いは菩薩[は]初発心の時に即ち菩薩の位に上(のぼ)って不退転(ふたいてん)を得るあり。或いは初発心の時に即ち無上菩提(「阿耨多羅三藐三菩」)を得て、便ち法輪を転ずる[もの]あり。

 

真言密教は「三密門」、すなわち身・語・心の如来の三密(さんみつ)をもって行ずることをその特徴とする、ということを述べています。

 

対治(たいじpratipakṣa)。とくには、煩悩の反対の意。道をもって煩悩を断じることをいいます。『倶舎論』によれば、見所断・修所断の煩悩の中で、修所断の煩悩(情・意の面での煩悩)は対治(三昧を修め、四聖諦の観知を繰り返し行うこと)によって断じられる、とします。

 

『大品』(『大品般若経』、すなわち、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』)の引用は、その注釈書『大智度論』にあるように、「三種の菩薩」のうちの「神通に乗ずる者」(その内容は、「未發心前久來集諸無量福徳智慧。是人遇佛、聞是大乘法」)に対する記述です。(したがって、三蜜門を修する者、てはありません。)経文には「無上菩提(「阿耨多羅三藐三菩提」)を得て」ともあるのですが、その主眼は「不退転」の獲得にあるようです。

 

龍樹以爲8如遠行。乘羊去者久久9乃到。馬則差速。若乘神通人。於發意頃便至所詣。不得云發意間云何得到。神通相爾不應生疑。則此經深旨也

 

龍樹の以爲(おもえ)らく(鳩摩羅什訳『大智度論』巻第三十八)、若(も)し人、遠く行くに羊に乗じて去る者は久久(くく)にして乃ち到り、馬(め)[に乗じて去る者]は則ち差(や)や速(と)し、若し神通(じんずう)に乗ずる人は発意の頃(あいだ)於いて便ち所詣(、その目的とするところ)に至る。発意の間に云何んが到ることを得る、ということを得じ、神通の相は爾(しか)なり、疑を生ずべからず[、と]。則ち此の経の深旨なり。

 

『大智度論』巻第三十八「論釋曰。有17三種菩薩、利根心堅、未發心前久來、集諸無量福徳智慧、是人遇佛、聞是大乘法。發阿耨多羅三藐三菩提心即時、行六波羅蜜、入菩薩位、得阿鞞跋致(「不退転」の意)地。所以者何、先集無量福徳、利根心堅、從佛聞法故。譬如遠行、或有乘羊而去、或有乘馬而去、或有神通去者。乘羊者久久乃到、乘馬者18差速、乘神通者發意頃便到。如是不得言發意間云何得到。神通相爾不應生疑。菩薩亦如是。發阿耨多羅三藐三菩提時、即入菩薩位。」

 

神通の秘車とは、どのような速さをいうのでしょうか。それは決して時間的な相対の速さをいうのではなく、神通の秘車の乗るとは、「果上の法門」に立つということをみずから選択するということなのです。それが「則ち此の経(『大日経』)の深旨」であるというのです。