若據梵本。應具題云大廣博經因陀羅王。因陀羅王者帝釋也。言此經是一切如來祕要之藏。於大乘衆教威徳特尊。2猶如千目爲釋天之主。今恐經題3大廣故不具存。

 

もし梵本に拠らば、応に具(つぶさ)に題を(もしくは、「具(つぶさ)なる題には」とも読む)大広博因陀羅王と云う。因陀羅王とは帝釈なり。言(いわ)く、この経は是れ一切如来秘要の蔵、大乗衆教に於いて威徳特尊なりこと、猶し千目の釈天の主たるが如し。今、経の題、太だ広きことを恐る、故に具に存せず。

 

『大日経』の梵本(サンスクリット原典)は、断片的な引用を除けば、未だ得らず、漢訳とチベット語訳を通して読むことになります。ともに梵本から翻訳されたものです。チベット語訳は、『大日経』のサンスクリット語での題名を併記しています。それによれば

 

Mahāvairocanābhisaṃbodhi-vikurvitādhiṣṭhāna-vaipulyasūtrendrarāja-nāma-

dharmaparyāya

 

 となります。「大広博経因陀羅王」は、その下線部にほぼ一致します。まず「因陀羅王」(sutra-indrarājan)とは、「千眼天」(身に千眼を開くもの)とも呼ばれ、諸天の主・天帝であり、大威徳ある帝釈天(Śakro devānām indraḥ)のように、多くの大乗経典(mahāyānasūtra)の中でも、特に勝れたものというほどの意味です。「一切如来秘要の蔵」とは、『法華経』「如来神力品」(tathagāta-ṛddhy-abhisaṃskāra)第二十一の「如來一切所有法、如來一切自在神力、如來一切祕要之藏(sarvaabuddha-rahasya)、如來一切甚深之事」を意識したものなのでしょうか。

 

「大広博」(vaipulya方広)は特に説明はされていないようですが、九部経の項目に含まれる古くからの用語である一方、ここでの「大広博」は『大日経疏』には明言されていないdharmaparyāya(法門)とともに、「経」(大乗経典)の形容詞としての用法であり、あるいは「大広博」で、vaipulyaとdharmaparyāyaを意味しているのかも知れません。(確定・決定できないことは、そのままにしておく方がよいようです。)

 

以上で、『大日経』の経題についての説明はひととおり終了ですが、その経題(『大毘盧遮那成佛神変加持経』「大広博経因陀羅王」)は、ひとまず、『大日(毘盧遮那)のさとり(成佛)と[それを契機として]神変された加持[のありさまを説く]、経の天帝王と名づくる、方広の法門』と読み、その意味するところは、「大日如来の自証成佛の体から、神変加持の用をあらわし、一切衆生を悉く大日如来の覚位に引入しようとする秘儀を説く、そのスケールは広大で、一切経の中で威徳特尊なる経」(山崎泰廣先生)となるのです。

 

七世紀中葉ころに成立したとみられる『大日経』は、とても魅力的なタイトルとなっているのです。