四十八軽戒については、ひとまずご紹介し終えますが、十重戒については後日、準備、状況が整い次第、ご紹介できますよう、これからも『梵網経』等の戒律について善学をつづける所存です。ここでは常用経典のひとつとして、『台宗課誦』にも収録されている「梵網菩薩戒経偈(ぼんもうぼさつかいきょう・げ)」をご紹介して、ひとまずの完結とします。これは『梵網経』の序に相当する一文です。

 

我今盧舍那(がこんるしゃな)方坐蓮華臺(ほうざれんげだい)

周匝千華上(しゅうそうせんけじょう)復現千釋迦(ぶげんせんしゃか)

一華百億國(いっけひゃくおっこく)一國一釋迦(いっこくいっしゃか) 

各坐菩提樹(かくざぼだいじゅ)一時成佛道(いちじじょうぶつどう)

如是千百億(にょぜせんひゃくおく)盧舍那本身(るしゃなほんしん)

千百億釋迦(せんひゃくおくしゃか)各接微塵衆(かくしょうみじゅんじゅ)

倶來至我所(くらいしがしょ)聽我誦佛戒(ちょうがじゅぶっかい)

甘露門則開(かんろもんそっかい)

 

我[は]いま盧舍那[として]、方に蓮華台に坐し、周匝せる千華の上に[は]、また千の釈迦を現ず。一華に百億の国(仏国土)あり、一国に一釈迦ありて、おのおの菩提樹に坐し、一時に(皆、一斉に)佛道を成ず。かくの是き千と百億[の釈迦]とは、盧舍那を本身となし、千と百億の釈迦[は]、おのおの微塵の衆を接す。[千と百億の釈迦、そして大衆は]倶(ともに)にわが所に来至し、我の、佛戒を誦するを聴け、甘露の門、則ち開く。

 

まずは、本身としての華台の盧舍那仏、千の華上の千の釈迦、そして千の華弁の内の百億の釈迦、そして数限りない多くの大衆、その状況が明かされます。「甘露の門、則ち開く」とは、梵天の勧請に応えられての、お釈迦さまの説法宣言のことばである「耳ある者たちに不死へのもろもろの門は開かれた。浄信を発こせ」(2024/12/3の投稿参照)を念頭においた表現なのでしょう。

 

是時千百億(ぜじせんひゃくおく)

還至本道場(げんし、ほんどうじょう)各坐菩提樹(かくざ、ぼだいじゅ)

誦我本師戒(じゅが、ほんしかい)十重四十八(じゅうじゅう、しじゅうはち)

戒如明日月(かいにょ、みょうにちがつ)亦如瓔珞珠(やくにょ、ようらくしゅ)

微塵菩薩衆(みじん、ぼさっしゅ)由是成正(ゆぜ、じょうしょうがく)

是盧舍那誦(ぜ、るしゃなじゅ)我亦如是誦(がやくにょぜじゅ) 

汝新學菩薩(にょしんがくぼさつ)頂戴受持戒(ちょうだいじゅじかい)

受持是戒已(じゅじぜかいい)轉授諸衆生(てんじゅ、しょしゅじょう)

 

この時、千と百億[の釈迦]は、還りて本(もと)の道場に至り、おのおの菩提樹に坐して、わが本師の戒なる十重四十八を誦す。戒は明らかなる日月の如く、また瓔珞の珠の如し。微塵の菩薩衆、これに由りて正覚を成ず。これ盧舍那の誦したまふところ、我もまたかくの如く誦す。汝、新学の菩薩、頂戴して戒を受持せよ。この戒を受持し已らば、転じてもろもろの衆生に授けよ。

 

戒の功徳を説き、この戒を頂戴、受持することを勧め、さらに、広く多くの衆生にこの戒を授けていくように勧めます。

 

諦聽我正誦(たいちょう、がしょうじゅ)佛法中戒藏(ぶっぽうちゅうかいぞう)

波羅提木叉(はらだいもくしゃ)大衆心諦信(だいしゅしんたいしん)

汝是當成佛(にょぜ、とうじょうぶつ)我是已成佛(がぜ、とうじょうぶつ) 

常作如是信(じょうさにょぜしん)戒品已具足(かいほん、いぐそく)

 

諦かに聴け、我正に、佛法中の戒蔵、波羅提木叉(pratimoka戒条)を誦せん。大衆、心に諦かに信ぜよ。汝はこれ当成の佛、我はこれ已成の佛、常にかくの如きの信を作せば、戒品已に具足す。

 

戒条を受けるにあたって、「当成の佛」であること、皆等しく仏性をそなえていることを信じ(浄信をもち)、それをはっきりと自覚して(信解し)、受戒するよう喚起を促す。その信によって、すでに戒品(ひとつひとつの戒すべて)が具足するという。

 

一切有心者(いっさいうしんじゃ)皆應攝佛戒(かいおうしょうぶっかい)

衆生受佛戒(しゅじょうじゅぶっかい)即入諸佛位(そくにゅうしょぶっち)

位同大覺已(いどうだいかくい)眞是諸佛子(しんぜしょぶっし)

大衆皆恭敬(だいしゅかいくぎょう)至心聽我誦(ししんちょうがじゅ)

 

一切の心あらん者、皆応に佛戒を摂すべし(摂受、修すること)。衆生、佛戒を受くれば(受戒、保持し守ること)、即ち諸佛の位に入り、位、大覚に同うし已れば、真にこれ諸佛の子なり。大衆皆恭敬して、至心にわが誦するを聽け。

 

受戒により、「佛位」の獲得が願われ、真実の佛子となることをいう。

 

これにつづき、序の結びとなる一文として次の語が示されます。

 

「佛、もろもろの菩薩に告げて言はく、『我いま半月半月に、自ら諸佛の法戒を誦す。汝等、一切の発心の菩薩もまた誦せよ。(中略)これ諸佛の本源、菩薩の根本、これ大乗諸佛子の根本なり。この故に大衆諸佛子、応に受持すべし、応に読誦・善学すべし。(中略)皆第一清浄者と名づく』と。」

 

以上です。ながらく、お付き合いありがどうございました。多くの不備、誤りがありまことを危惧いたしますが、ブログへの投稿は本当に、勉学の励みになるのです。ありがとうございます。 合掌