【呼称の異同】(智顗)無慚受施戒、(法蔵)故毀禁戒戒、(義寂)不故毀犯戒、(太賢)故違聖禁戒、(勝荘)破壊受施戒、(明曠)故毀禁法戒
【概要】戒を誹謗する者は、檀越から布施を受けたり、仏教徒の王の国土に入ったりしてはならぬ。
【本文】若佛子、信心をもて出家して、佛の正戒を受け、故らに(故意に)心を起して聖戒を毀犯(キボン)せば、一切の檀越の供養を受くることを得ざれ。/また(仏教を信仰する)国王の地の上に行くことを得ざれ、国王の水を飲むことを得ざれ。五千の大鬼、常にその前を遮り、鬼、(汝を)大賊なりと言はん。もし房舍・城邑の宅中に入らば、鬼また常にその脚の迹(アト)を掃はん。一切の世人、罵りて佛法中の賊なりと言はん。一切衆生、眼に見ることを欲せざらん。犯戒の人は畜生と異なることなく、木頭と異なることなし。もし正戒を毀(ヤブ)らば、軽垢罪を犯す。
【諺註】故違聖禁(コイショウキン)戒第四十三<故らに聖の戒めに違することを戒しむるなり。> 故(ワザト)心(コシン)を起して、軽重の諸戒を犯ずれば、本戒の上に更にこの戒を犯(ボン)ずるなり。もし破戒の人は一切檀越の供養を受くることを得ず。王土に居(イ)、王の水を飲むことを得ず。所以(ユエ)者何(イカントナ)れば、自ら罪を得る(だけ)にもあらず、他の福を損ずるが故に。また出家は国王の役を免がれて、しかも戒を破すれば、恩を報ずることなきが故に、大賊とす。畜生・木頭に同じと呵(カ)したまうなり。このゆえに五千の鬼神、常にその人の前(サキ)を遮り、常に足の跡を掃(ハラ)うといえり。恐るべし、恐るべし。[通局]七衆同制。
【現代的解釈例】[43]僧侶として受戒した者は、自らも未成の仏であるとの信を捨て、故意に戒に違反することがあるとすれば、僧侶としての資格を失い、檀家さまからの布施を受けるに値しない者となる。「(受戒の)有りて犯すは、(受戒の)無くして犯さざるに勝れたり。有りて犯すも菩薩と名づけ、無くして犯さざるも外道と名づく」ともあるが、それはあくまでも(ひとたび受戒すれば)「仏果の種子、破失せざるなり」からなのである。恐るべし、恐るべし。