【呼称の異同】(智顗)為利作師戒、(法蔵)無徳詐師戒、(義寂)具徳作師戒、(太賢)悪求弟子戒、(勝荘)為他授戒、(明曠)為利作師戒、(法銑)[為利而授戒]

【概要】菩薩戒の受戒希望者がいたら、七逆罪の有無・犯戒への対処・懺悔法などを教えよ。

 

【本文】若佛子、人を教化して信心を起さしむる時、菩薩、他人の与に教誡の法師と作らば、戒を受けんと欲する人を見ては、1)応に教へて二師を請はしむべし。和上阿闍梨となり。二師、応に問ふて言ふべし。2)「汝、七遮罪ありやいなや」と。もし現身に七遮あらば、師、与(タメ)に受戒せしむべからず。七遮なくんば、受くることを得。3)もし十戒(十重戒)を犯ぜしことあらば、応に教へて懺悔せしむべし。佛・菩薩の形像の前にありて、日夜六時、十重四十八軽戒を誦し、もし三世の千佛を礼するに到らば(異本の読み:苦到[ネンゴロ]に三世の千佛を礼して)、好相を見ることを得しめよ。もし一七日、二・三七日、乃至、一年、要ず好相を見るべし。好相とは、佛来りて摩頂(マチョウ)し、光を見、華を見る種種の異相にして(異本の読み:光・華・種種の異相を見ば)、便ち罪を滅することを得。もし好相なくば、懺(サン)すと雖も益なし。この人、現身にまた戒を得ず(いま直ちには受戒することはできないが)。しかうして増して(かさねて、再)受戒することを得。4)もし四十八軽戒を犯さば、対手懺(タイシュサン。対首懺)して罪滅す。七遮に同じからず。5)しかも教誡の師は、この法の中に於て一一を好く解せしむべし。

もし大乗の経・律、もしは(犯した罪の)軽、もしは重、是非の相を解せず、第一義諦(最勝真実の道理)を解せず、習種性・長養性・不可壊性・道性(道姓性、? 道種性)・正性、その中の多少の観行、出入、十禅支、一切の行法、一一この法の中の意を得ざるに、しかるに菩薩、利養の為の故に、名聞の為の故に悪求多求し、弟子を貪利して、詐って一切の経律を解せりと現(ヨソオ)はば、供養の為の故に、これ自ら欺詐し、また他人を欺詐するなり。故らに人の与に戒を受けしめば、軽垢罪を犯す。

 

【諺註】悪求弟子(アクグデシ)戒第四十一<弟子を悪求すること(悪しざまに求め、益を貪ること)を戒しむるなり。> 自ら戒律を解せずして、名利・恭敬を貪るが故に、解したる真似して、他人を欺き誑かして戒を授くることを制す。[開縁]もし学、未だ成就せざる先に、他人強いて請じて、利養のためにせざるは(、すなわち役目として、利他的な心からであれば)犯なし。

【現代的解釈例】[41] 戒師としての資格なく、十分な見識もなく、自ら利得のため、名誉のために授戒の師となることを制する。自分をよく見せようとする必要はまったくないし、恥ずかしいことである。