『日本霊異記』における三途の川に相当するであろう「大河」の用例のひとつです。 先の投稿で「日本の文献でそれに最初に言及するのは」とした「それ」とは、「この世とあの世を隔てるものとしての川」にであり、必ずしも直接「三途の川」に言及したものとして理解することはできないようです。

 

『日本国現報善悪霊異記』(『日本霊異記』)薬師寺沙門・景戒より

「非理に他(ひと)の物を奪ひ、悪行を為し、報(むくい)を受けて奇(あや)しき事を示しし縁」上巻・第三十

 

校注・訳 中田祝夫『日本霊異記』(『新編 日本古典文学全集』10)小学館1995による現代語訳でお届けします。

 

非道にも他人(ひと)の物を奪い、悪行を重ねて、報いを受け、不思議なことの起った話 第三十

 

膳臣(かしわでの)広国(ひろくに)は豊前の国京都(みやこ)の郡(こおり)の次官であった。藤原の宮で天下をお治めになった文武天皇の御代、慶雲(きょううん)二年の秋九月十五日に、広国は突然この世を去った。死んで三日目の十七日の午後四時ごろにまた生き返って次のように告白した。「二人の使いがやって来た。一人は大人で、髪を頭の上に束ねていた。いま一人は小さい童子であった。わたしは二人の者に連れられて行った。駅(うまや)を二つばかり過ぎると、道の途中に大きな川があった。橋が架けてあり、その橋は黄金で塗り飾ってあった。橋を渡って対岸に行くと、心楽しい国があった。使いに向って、『ここは何という国ですか』と尋ねると、『度南(となん。度は済度[すくいわたす]の意)の国だ』と答えた。その国の都に着くと、八人の役人がやって来て、武器を手にしてわたしを追い立てた。前方に黄金の宮殿があった。門に入って、見ると、王(閻魔王のこと)がおいでになっていた。黄金の座席に座っておられた。大王はわたしに向って、『今、おまえをここに召したのは、おまえの妻が嘆き訴えたからなのだ』とおっしゃった。そしてすぐ一人の女を召し出した。見ると、死んだ昔の妻であった。鉄の釘が頭の上から打ち込まれ、尻まで通り、ひたいから打ち込んだのは後頭部に通っている。鉄の縄で手足を縛り、八人がかりでかついで連れて来た。大王が、『おまえはこの女を知っているか』と尋ねられた。わたしは、『確かにわたしの妻です』と答えた。大王はまた、『おまえは何の罪をとがめられてここへ召し出されたか知っているか』と尋ねられた。わたしは、『知りません』と答えた。今度は妻に向って尋ねた。妻は、『わたしはよくわかっています。あの人はわたしを家から追い出した者なので、わたしは、恨めしく、悔しく、しゃくにさわっているのです』と答えた。(そこで、広国と死亡した妻との過去を調べあげ)大王は、わたしに向って、『おまえには罪はない。家に帰ってよろしい。しかし、決してこの黄泉(よみ)の国(死者の行く所)のことは軽はずみにしゃべってはならんぞ。それから、もし父に会いたいと思うなら、南の方へ行くがよい』とおっしゃった。行ってみると、ほんとうに父がいた。非常に熱い銅の柱を抱かされて立っていた。鉄の釘が三十七本も体にぶち込まれ、鉄のむちで打たれていた。朝に三百回、昼に三百回、夕べに三百回、合せて九百回。毎日打ち責められていた。それを見て、わたしは悲しくなって、『ああ、お父さん。わたしはお父さんが、こんな苦しみを受けておられようとは、まったく思いもよりませんでした』と嘆いた。父は次のように語った。『わたしがこんな苦しみを受けていることを、息子よ、おまえは知っていたかどうか(吾子[あこ]、汝知れりや不[いな]や)。わたしは妻子を養うために、ある時は生き物を殺した。ある時は八両の綿を売って、十両の値を取り立てた。ある時は軽いはかり目で稲を貸し、重いはかり目で取り立てた。またある時は、人のものを無理に強奪した。また他人の妻を犯した。父母に孝養を尽さず、目上の人を尊敬することもせず、奴婢(ぬひ)でもない人をまるで自分の奴婢でもあるかのように、ののしり、あざけった。このような罪のために、わが身は小さいのに、三十七本もの釘を打ち込まれ、毎日九百回も、鉄のむちで打ち責められている。とても痛く、とても苦しい。いったい、いつの日にこの罪が許されるのか。いつになったら体を休めることができるのであろうか。おまえはすぐにもわたしのために仏を造り、お経を写し、わたしの罪苦をつぐなってくれ。このことは忘れないでかならずやってくれ。死んだ最初の年、わたしは飢えて、七月七日に大蛇となっておまえの家に行き、家の中に入ろうとした時、おまえは杖で引っかけてわたしを捨てた。また、翌年の五月五日に赤い小犬(狗)となっておまえの家に行った時は、ほかの犬を呼んでけしかけ、追っ払わせたので、食にありつけず、腹ただしく帰って来た。ただ、今年の正月一日に、(狸)になっておまえの家に入りこんだ時は、昨夜の魂祭りで供養のため供えてあった肉やいろいろのご馳走を腹いっぱい食べて来た。それでやっと三年来の空腹を初めていやすことができたのだ。またわたしは兄弟や身分の上下を無視し、道理に背いたので、犬となって食い、口から白い唾液を出してあえぐことになろう。わたしはきって赤い小犬になって、食をあさることになるのだろう』と語るのであった。およそ、米一升を施す報いは、あの世で三十日分の食物が得られる。衣服一着分を施す功徳は、一年分の衣服が得られるのだ。お経を読ませた者(ひと)は、死後、東方の黄金の宮殿に住むことになり、後には願いのままに天上界に生れる。仏菩薩の像を造る者は、西方の無量寿浄土に生れる。生き物を放してやった者は、北方の無量浄土(普賢菩薩の極楽浄土)に生れるのである。一日斎食する者はあの世で十年間の食糧が得られる。このほか、生前この世でした善いこと悪いことの、それぞれあの世での報いなどを見てから地獄(原文には「地獄」の語はなし)を出ようとした。わたしはしばらくその辺をぶらぶらしていると、小さい子供(小子[わらは])がやって来た。すると、さっきの門番はその子を見て、両膝を地につけてひれ伏した。その子はわたしを呼んで、片方の脇の門に連れて行き、その門を押し開けた。そこからわたしが出ようとすると。『早く行きなさい』と言った。わたしは、その子に、『あなたはどなたさまですか』と尋ねた。その子は、『わたしがだれか知りたいと思いますか。わたしはそなたがまだ幼かった時、写した観世音経なのです(写し奉る観世音経是れなり)』と答えた。そしてそのまま帰ってしまった。ふとあたりを見わたすと、生き返ってここにもどってきたのである」と語った。広国は、黄泉の国に行き、善い行いが善い報いを得悪い行いに悪い報いが返ってくるいろいろな例を見たので、この不思議な体験話を記録して、世間にひろめた。この世で罪を犯して、あの世でその報いを受ける因縁は、大乗経典に詳しく説いておられるとおりである。だれがこれを信じないであろうか。みな信じているところである。このようなわけで、経典に、「現在、甘露のような甘い汁を吸っていると、未来は鉄の玉を飲まされる」(「現在の甘露は未来の鉄丸なり」)と述べられておられるのは、このことをいうのである。広国は、生き返ってから、父の御ために仏像を造り、写経し、仏・法・僧の三宝を供養して、父へのご恩返しをした。この造仏、写経、供養により父の背負った罪のつぐないをした(父の奉為に、仏を造り、経を写し、三宝を供養して、父の恩に報いまつり、受くる所の罪を贖ひにき)。この後、広国自身も邪悪な行いをやめ、正しい道に入ったのであった。