【呼称の異同】(智顗)邪業覚観戒、(法蔵)観聴作悪戒、(義寂)不行邪逸戒、(太賢)虚作無義戒、(勝荘)闘戦嬉遊戒、(明曠)観聴悪作戒

【概要】人々の格闘・軍の闘争・賭博・占い・盗賊行為を肯定し加担してはならぬ。

 

【本文】若佛子、悪心を以ての故に、一切の、男女等に闘(タタカイ)、軍陣の兵将・劫賊等の闘を観、また吹貝(スイバイ)・鼓(ク)・角(カク)・琴(キン)・瑟(シツ)・箏(ショウ)・笛(テキ)・箜篌(クゴ)・歌叫・伎楽の声を聴くことを得ざれ。摴蒲(チョボ)・囲碁・波羅賽戯(ハラサイギ)・弾碁(ダンゴ)・六博(ロクハク)・拍毬(ハクキク)・擲(チャク)・石(シャク)・投壺(トウコ)・八道行城(ギョウジョウ)・爪鏡(ソウキョウ)・蓍草(キソウ)・楊枝・鉢盂(ハツウ)・髑髏もて、しかうして卜筮(ボクゼイ)を作すことを得ざれ。盜賊の使命を作すことを得ざれ。一一に作すことを得ざれ。もし故らに作さば軽垢罪を犯す。

 

【諺註】虚作(コサ)無義戒第三十三<いたずらに無義利を作すことを戒しむるなり。>

これに五戒有り。一には観闘(カントウ)戒。いわく、一切の闘(イサカイ)、あるいは打罵刀杖等を以て闘するを見るを制す。ただし和穆せしめんがために、あるいは道路に行きかかりて、心ならず見るは犯(ボン)にあらず。さりながら見て慰む心あらば犯なるべし。相撲を見、犬鶏を闘わしむるも、この類なるべし。道俗同じく制す。<これは害心の始めなるが故に制するなり。>

 二には聴作音楽戒。いわく、貝を吹き、鼓・大鼓を打ち、琴・琵琶等を引き、箏・笛等を吹き、歌をうたう等の、一切の音楽を作し、または人の作すを聴くことを制す。ただし音楽を作して、三宝に供養するは犯なし。さりながら慰む心を生ずべからず。道俗、同じく制す。ただし供養なりとも、出家は自身作すことなかれ。供養の次いでに聴くは、出家に開す。<これは驕奢婬逸の心を起すが故に制す。>

 三には博戯(バク)戒。いわく、碁・象戯・双陸等の盤の上の遊び、毬打の玉・擲石・飛礫・鞠などの遊び、一切の賭、博弈の類、自身も作し、また他の作すを見るを制す。道俗、同じく制す。

 四には妖術戒。一切の奇妙なる術法、或いは髑髏を呪(マジナヒ)て、吉凶を知る類の事を制す。いま密宗の僧徒の中に、かようの事を作して、正法なり、霊験ありと慢ずる族(ヤカラ)多し。恐るべし、慎むべし。道俗同じく制す。<鬼神を纏縛するが故に制す。>

 五には賊使戒。盗賊のために使いをして、盗業を助成することを制す。これは盗戒に入れども、いまはすまじきを作す辺にて軽戒に入るなり。道俗、同じく制す。

 およそ総じていわば、詩歌に耽り、書画を好んで、徒らに年月を度(ワタ)る。皆この制なるべし。儒すらなお佚遊(イツユウ)を制す。仏弟子何ぞ必ずしも事とせん、恐るべし、恐るべし。法蔵師、右の戒について八つの過を出す。一には禅定を失う。二には放逸を増す。三には善品を壊す。四には法行を滅す。五には大なる譏りを招く。六には所化を誤る。七には禁戒を毀る。八には苦因を成ず、といえり。

 

【現代的解釈例】<趣味、テレビ鑑賞などについて>プロレスやボクシング、相撲や闘牛などを観戦・観覧して、心を高ぶらせること、または心を慰めることを制する<観闘戒>。ジャズやロック、クラシックなどの音楽を鑑賞することも同じ<聴作音楽戒>。もし「趣味は何ですか」と(お見合い相手などに)問われることがあったとしても、「ありません」と答えるのが僧侶であれば無難なのでしょうね。趣味とは「仕事や職業、勉強としてではなく、個人が楽しむために行う事柄のこと」であるならば、それは徒に、無駄に年月をおくることにもなりかねない。私は音楽・芸術などが好きですが、あくまでも僧侶としての本分を忘れないようにします。