お釈迦さまのご生涯をより深く理解したいと願う私たちは、ここで文殊師利大乗仏教会が配信してくださっている、釈尊の行状(9)四門出遊[2021.05.20]より、同(15)涅槃示現[2021.05.26]までの内容を忘備録として心に留めておきたく思います。お釈迦さまのご生涯を、歴史的事実であろう行状をできうる限り明瞭に捉えることも必要なことなのですが、お釈迦さまを最勝化身として崇敬する大乗仏教思想からの理解、私たちが求めれば、いまここで起こりうるリアルな事象として理解すことも欠かすことはできないのです。
釈尊の行状(9)四門出遊
(最勝化身としての)お釈迦さまが、人の姿をとって、この世に誕生されたことにはどんな意図があったのですか、という問いに対しては、仏になる、さとりを開く、一切相智者となるというのはどのようなことをいうのかを実際に人々に教え、それがどのように得られるのか、それを成し遂げる仕方を神々と人間たちに示し、私たちすべての衆生を涅槃へと誘うためであり、そのご生涯はひとつの事例・事象に過ぎない、と答えられます。
釈尊の行状(10)苦行精進
出家して後、お釈迦さまは、まず無色界の禅定(空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処)を修し、つづいて6年間苦行を行われたといいます。そのことには、どのような意味があるのですか、という問いに対しては、外道が説く苦行や禅定によっては、天界へと転生することができるかもしれないが、決して輪廻からの解脱を達成するものではないということを示し、そして、さとりを開くためには、どんなに慈悲深き心を有していようとも、またどんなに勝れた知性をそなえていようとも、努力することがなければ決して仏にはなれないということを教えるためである、と答えられます。
釈尊の行状(11)入菩提道場
魔軍を退け、さとりを開く時期がきたったこと(降魔・成道)を自覚・決意された釈尊は、クシャkuśaとも呼ばれる聖なる草を手にして菩提樹へ近づき、まわりを七返右繞して、草の先を内に、根を外にして、(卐状に)草の坐布を敷き、その上に東向きに結跏趺坐された、と伝えられます。さとりを開くため釈尊が坐された菩提樹下を菩提道場といい、「金剛宝座」ともいいます。金剛宝座とはどのような意味ですか、という問いに対しては、三千大千世界の中心としてあり、金剛(vajra)のように堅固で、決して壊れることなき場所という意味であると、答えられます。そして金剛宝座は、見飽きることのないほどの無限の功徳で美しく飾られているというのですが、平時は見ることができません。私たちにとっては、お寺の本堂の仏さまのお坐りの座処、お仏壇の仏座を菩提道場として拝して、毎朝仏さまをお迎えすることは大事なことなのです。
釈尊の行状(12)降魔
お釈迦さまが摩軍を退けられるとき、右手の先で大地を触れたことにはどのような意味があるのですか、という問いに対しては、欲界の支配者であることを誇る魔(自在天魔)に対して、お釈迦さま自身は無数の過去世において無量の布施等を行い、善なる資糧を積み、多くの供養を受けてきたことの証しとして、みずからに代わって、大地の女神を出現させるために、であると答えられます。また釈尊の姿を見ただけで崇敬の念を生じ、自分たちも釈尊と同じように衆生のためにさとりを目指そうと発心した魔衆も無数にいたということです。
釈尊の行状(13)成道示現
「釈尊の行状(13)」では、お釈迦さまは、どのようにして成道を達成されたのかが語られています。それは魔軍を退散させた後、釈尊は色界四禅を成就して、その日の初夜において天眼通、中夜において宿命通を得、後夜に十二支縁起と四聖諦を現観し、漏尽通を得、その刹那で無上正等覚された、とあります。
釈尊の行状(14)転法輪
次いで、成道から初転法輪に至る過程が示されます。「釈尊の成道から初転法輪に至る過程」(2024.12.03)として投稿した内容と食い違うところが多々あります。そしてチベット仏教圏内では、成道後、49 日目後に初転法輪が行われたとすることも、すでに申し上げた通りです。お釈迦さまは、成道の相を示された最初の週は菩提樹の下にそのまま(、すなわち禅定の状態で)留まられ、第二週(8日目以降)には三千大世界の端まで歩いて行かれ、第三週(15日目以降)には再び菩提の場に戻り、菩提樹を瞬きせずに凝視されていらっしゃった。第四週目(22日目以降)には東の海と西の海の端から端まで歩いて行き、(菩提樹下において)再び魔物があらわれ、釈尊に涅槃に入ることを申し出たのですが、釈尊は「私はこの世界に仏法僧の三宝の声を響かせ、無量の菩薩たちに授記するまでの間は、私は決して涅槃には入らない」とお答えになる。第五週目(29日目以降)には強風と豪雨が起こったので、竜王(ムッチャリンダ)たちは蜷局を巻いて釈尊を守る。第六週目(36日目以降)にはニヤグローダの樹に赴かれ、外道の修行者たちが釈尊の様子を伺うために訪ねてくる。第七週目(43日目以後)に商人の兄弟が通りがかり、蜜と砂糖黍を供養があり、四天王が献じた石鉢をもって受けられた。そして梵天の勧請があり、菩提の場を去り、ガンジス河を飛び越えて渡り、ヴァーラーナシーでの托鉢の後、鹿野苑にいた五人の従者たちを訪ねていった、と語られています。歴史的事実としてどのようなことがらがあったのかを確定することは容易ではないのです。お釈迦さまのご生涯を、4月8日を降誕会とし、12月8日を成道会として、涅槃会を2月15日と定めるのも、ひとつの解釈に過ぎないのであって、いまから二千五百年前に最勝なる変化身として誕生された、お釈迦さまのご生涯を通して私たちが知ることのできる受用身としての仏の行動は、無辺際・十方のすべての場所で、過去・現在・未来すべての時間において、一切衆生の利益という目的に応じて同時多発的に生じている、とするのが大乗仏教の伝統的な考え方だというのです。それはどういうことを意味するのかといえば、「たとえこの閻浮提の世界では、涅槃の相を見せられても、同時に他の百千万の世界では、降誕の相を見せられていたり、王宮で学問をしたり遊戯されていたり、転法輪をされていたり、涅槃の相を見せられたりしている」(同15涅槃示現)ということです。ですから、「いまのこの世界には釈尊が不在であり、説法もされていない、と考えるのも、私たちの功徳が足りないことに起因した私たちの解釈に過ぎない」(同13成道示現)とされるのです。
来年も折に触れ、仏としてのお釈迦さまのご生涯を学びたく、自らの修行の支えといたします。合掌