Web「コトバンク」で「祥月(しょうつき)」の項を検索してみました。やはり、あらたに知り得たことが、幾つもありましたので、皆さま方にもお知らせいたしたく作文しています。(やはり、勉強はこれで充分ということはありませんのです。)

 

「祥月」は、「一周忌以後において、故人の死去した月と同じ月」の意味で、「祥月命日」ということばでよく知られています(『デジタル大辞泉』など)。ですから、「命日」(めいにち)は月ごとの忌日(きじつ)をいい、一年に12回あることになります。初出は『玉勝間』(たまがつま/たまかつま)とあり、江戸時代国学者本居宣長が書いた随筆だそうです。機会があれば、読んでみます。((SAT大蔵経で「祥月」を検索すれば、『大正新脩大蔵経』には4つほど用例があるとのこと、でもそれは命日をいうものではありません。)

 

同じ「コトバンク」上の精選版 日本国語大辞典』は、それに加えて「昔はその月中忌日として、すべてをつつしんだ」とあり、なるほどと感じ入りました。(単に「祥月命日」の略ではないのですね。)年空けての1月は母親の祥月です。父親は10月です。言動に慎み、一月を過ごしたいと思いました。

 

さらに『改訂新版 世界大百科事典』には、先の「祥月」の初出は『玉勝間』との記述と矛盾しないのかなと危惧してしまうのですが、「688年(持統2)に国忌(皇祖・先帝・母后の命日に仏事を行う、こと)のことが定められて以来,祥月のことが見られるようになった。聖武天皇(756年死去。享年56)の一周忌が東大寺で行われた。光明皇后の場合に限って毎年の祥月に仏事が行われたが、一般的には一周忌のみであった。毎年の祥月に国忌が行われるようになった。鎌倉時代から室町時代にかけては,三十三回忌まで行われた。」とあります。『改訂新版 世界大百科事典』の記述(神戸女子大学名誉教授・田中久夫 執筆)については、内容は豊富であり、多少ファクトチェック(事実確認)が必要なようです。特に年回忌の法要、十三仏事の発生については、後日報告いたします。あらためて、「祥月」の意味を知りました。合掌