四十八軽戒[23]軽蔑新学戒
【呼称の異同】憍慢僻説戒、軽新求学戒、好心教授戒、軽蔑新学戒、慢心倒説戒、軽人僻説戒 ※「僻」は、かたよる、ひがむ、の意
【概要】悪意や慢心から菩薩戒を他者に授けず、教えない態度を取ってはならぬ。
【本文】若じ佛子、佛滅度の後、心に好心をもて菩薩戒を受けんと欲する時は、佛・菩薩の形像(ギョウゾウ)の前に於て、自ら誓って戒を受けよ。当に七日をもて佛前に懺悔し、好相を見ることを得ば、便ち戒を得べし。もし好相を得ざれば、応に二七・三七、乃至、一年なりとも、要ず好相を得べし。好相を得已らば、便ち佛・菩薩の形像の前にして戒を受くることを得。もし好相を得ざれば、佛像の前にして戒を受くと雖も、得戒せず。もし現前(ゲンゼン)に先に菩薩戒を受けし法師の前にして、戒を受くる時は、要ずしも好相を見ることを須ひず。何を以ての故に。この法師の、師師相(アイ)授くるを以ての故に、好相を須ひず。ここを以て、法師の前にして戒を受くれば、即ち得戒し、重心(異本には「至重心」に作る)を生ずるを以ての故、便ち得戒す。もし千里の内、能く戒を授くる師なくんば、佛・菩薩の形像の前にして戒を受くることを得るも、しかれども要ず好相を見よ。もし法師、自ら経律・大乗の学戒を解(ゲ)するに倚りて、国王・太子・百官の与(タメ)に以て善友(ゼンウ)となり、しかも新学の菩薩来りて、もしは経の義・律の義を問はんに、軽心・悪心・慢心をもて、一一に好(ヨ)く問に答えずんば、軽垢罪を犯す。
【諺詮】軽蔑(ケイベツ)新学戒第二十三<新学を軽しめ、蔑みすることを戒しむるなり。> これに二戒有り。一には受戒の儀式。いわく、もし従他受(他に従って受く)ならば、よく経律を解したらん法師に対して、世尊の如く重心(敬う心)を起して受くべし。もし、千里の内に授くべき師なくば、仏菩薩の像の前にして受くべし。先ず礼拝、念誦等をして、至誠(シジョウ)に懺悔して、好相(コウソウ)を見ることを得て、後に自ら誓願して受くべし。これ自誓受(ジセイジュ)なり。二には不好答問(フコウトウモン)戒。これは法師自ら大戒を解し、国王・大臣等に崇敬せらるるに誇って、新学の菩薩来たって経律の義を問えども、あるいは軽慢し嫉妬して、好く答えざるを制す。[開縁]もし病のとき、もしは力無き、もしは我れ解せず、もしは彼れ慢法、もしは方便調伏のためなるを犯なし。[通局]七衆、同じく制す。
【現代的解釈例】<新学指導、あるいは檀家さまとのお付き合い>お檀家さま、または僧侶の仲間から、仏教学に関する質問を受けたときには、誠意をもって対応、お答えしなければならない。また十分質問に答えられるように日ごろからの学習に努めること。