四十八軽戒[16]為利倒説戒(貪財惜法戒) 

【呼称の異同】為利倒説戒、惜法規利戒、規利倒説戒、無倒説法戒、倒説法戒、貪財惜法戒、不得惜法規利戒

【概要】大乗を正しく教えるべきなのに、他者の問いに答えず、誤った説明をしたりしてはならぬ。

 

【本文】若佛子、応に好心をもて、先ず大乗の威儀・経律を学び、広く義味を開解すべし。後の新学の菩薩の、百里・千里より来りて大乗の経律を求むるものあるを見ては、応に法の如く、ために一切の苦行を説きて、もしは身を焼き、臂を焼き、指を焼かしむべし。もし身・臂・指を焼いて諸佛を供養せざば、出家の菩薩にあらず。乃至、餓えたる虎・狼・師子、一切の餓鬼にも、悉く応に身肉・手足を捨てて、これを供養せしむべし。後に、一一次第に、ために正法を説き、心(ココロ)開け意(ココロ)に解(サト)らしめよ。しかるに菩薩、利養のための故に、答ふべきに答へず、経律を倒(サカシマ)に説いて、文字に前なく後なく、三宝を謗りて説かば、軽垢罪を犯す。

 

【諺詮】貪財(トンザイ)惜法(シャクホッ)戒第十六<財を貪って、法を惜しむことを戒しむるなり> 人来たって法を求むるに、利養のために答うべきを答えず、義理を転倒し、文句を前後し、あるいは三宝を謗(ホウ)して説くを制す。嫌恨・恚悩・嫉妬の心を以て施こさず、説かざるは皆制す。もし法を慳んで説かざるは重禁なり。いま悪心・利養の辺にて軽戒に入るなり。[開縁]第八重戒・慳生毀辱戒の開縁に準ず。[通局]七衆、同じく制す。上に準じて知るべし。

【現代的解釈例】<自身の向上と他者の教化>仏の教えはいのちに代えても受持すべきとあり、学んだ大切な教えは、人に正しく伝えるべきである。自らの「利養」を第一とする考え方や、相手を大切にしない考え方は、仏法を重んじることと相容れないし、自らの向上にも資することはない。