四十八軽戒[15]法化違宗戒(僻教戒) ※僻は、かたよる、よこしま、の意

【呼称の異同】僻教戒、不僻教授戒、不得邪僻教他戒、法化違宗戒、化法違宗戒

【概要】大乗以外や異教徒の教えを恣意的に解釈して他者に誤った教えを与えてはならぬ。

 

【本文】若(ナンジ)佛子、佛弟子より外道の人・六親・一切の善知識に及ぶまで、応に一一に教へて大乗の経律を受持せしむべし。応に教へて義理を解(サト)らしめ、菩提心を発して、十発心・十長養(ジョウヨウ)心・十金剛心の三十心の中において一一にその次第・法用(ホウユウ)を解らしむべし。しかるに菩薩、悪心・瞋心を以て、横(ヨコシマ)に他の二乗声聞の経律、外道邪見の論等を教へば、軽垢罪を犯す。

 

【諺詮】法化違宗戒第十五<法(ホウ)をもって化するに宗(シュウ)に違うことを戒しむるなり> 悪心・瞋(シン)心の故に、二乗の経律、あるいは外道邪見の論、あるいは孔子・老子・荘子等の道(ミチ)を教うる、皆この制に入るなり。[開縁]仏法に引入せんがために、先ず教うるは犯なし。[通局]七衆、同じく制す。

 

【現代的解釈例】<自身の向上と他者の教化>お互いが「菩薩」としての自覚を有しているのなら、自らが学び、そしてもっともすぐれた教えである大乗の教えをもって、相手を指導すべきである。方便行以外に、法を惜しみ、宗に違う教え、すなわち有身見や常見・断見などの仏教以外の見解、慈悲の欠けたる教えを説いて、人々を導くことを制する。十発心・十長養心・十金剛心は、十地に先立つ菩薩の階位をいう。