四十八軽戒[13]無根謗毀戒

 

【呼称の異同】謗毀戒、無根謗人戒、無根謗毀戒、無根重罪謗他戒、不毀良善戒、不得無根謗毀戒

【概要】無実の罪を他者になすりつけて誹謗中傷してはならぬ

 

【本文】若(ナンジ)佛子、悪心を以ての故に、事(コト)なきに、他の良人・善人・法師・師僧・国王・貴人を謗りて、七逆・十重を犯せりと言はん。父母・兄弟の六親の中に於いては、応に孝順心・慈悲心を生ずべし。しかるに反りて更に逆害を加へて、不如意の処に墮(ダ)せしめば、軽垢罪を犯す。

 

【諺詮】無根(ムコン)謗毀(ホウキ)戒第十三<無根なるに謗(ソシ)ることを戒しむるなり> 無根といっぱ、見(ケン)聞(モン)疑(ギ)の三根なきをいう。いわく、目に見たることもなく、耳に聞きたることもなく、疑わしきことも(筆者補:根拠、証拠)なきに、七逆・十重を犯したりといいて、持戒の善人を謗ずることを制す。これは妄語の辺は重禁に入る悪心にて謗ずる辺はこの戒に入るなり。○問う、何ぞ実に過(トガ)あるを謗ずるをば重禁(筆者補:十重の第六)とし、過なきを謗ずるをば軽とするや。答う、過あるを謗ずるは、その人の痛み深し。過なきを謗するは、終(ツイ)にあらわるる故に、その人の悩み一旦なり。いま菩薩利他の辺(ヘン)に約する故に、かくの如し。[通局]七衆、同じく制す。

 

【現代的解釈例】<対人関係>事実無根の人に対して、誹謗中傷することを制する。七逆とは、五逆罪に殺和上と殺阿闍梨を加えた七つの重罪のこと。十重戒とともに、出家者にとっては波羅夷罪(はらいざい)に相当する。

【考察】十重の第六・不説過罪(説四衆過戒)との相違については慎重な考察が必要。根拠の有る無しにかかわらず、いかなる場合も誹謗中傷、相手の名誉を傷つける言動は制せられるが、いわれた相手の受ける痛みによって軽重の差をもうけるという考え方なのでしょうか。そしてそれが「菩薩利他の辺」ということ、意味慎重です。『観音経』の「還著於本人」(げんじゃくおうほんにん)とあるように、相手を傷つける言動は、必ずその害は、それを行った自ら自身に返ってくるもの。また「若有罪若無罪」とあることにも注意が向けられます。いずれ考えてみます。