四十八軽戒[9]不瞻病苦戒(不看病戒)
【呼称の異同】不看病戒、不瞻病苦戒、瞻給病人戒、不得不看病戒
【概要】病人がいたら決して見過ごさず、病人に必ず救いの手を差し伸べよ。(船山 徹)
【本文】若じ佛子、一切の疾病(シツビョウ)の人を見ては、常に応に供養することの、佛の如くにして異なることなかるべし。八福田の中には看病福田は第一の福田なり。もし父母・師僧・弟子の、病に疾(ナヤ)み、諸根具(ソナ)わらず、百種の病苦に悩むときは、皆養ひて差(イ)えしむべし。しかるに菩薩、悪心・瞋恨を以て、僧房の中・城邑・曠野・山林・道路の中に至り、病めるをも見ず、救わずんば、軽垢罪を犯す。
[注記]八福田 福田とは梵語puṇya-kṣetraの訳。福徳を生ずる田の意。一般に仏や僧など尊敬の対象を敬田(キョウデン)、師や父母など恩に報いなければならないものを恩田、病人・貧者など慈悲・救済の対象を悲田というが、これについて敬田に仏・聖人・僧の三、恩田に和尚・阿闍梨・父・母の四、悲田に病人の一を数えた、これら八つを八福田という。(石田瑞麿)
【諺詮】不瞻(フセン)病苦戒第九<病苦を見ざることを戒しむるなり>
父母(ブモ)・師匠・弟子等の余に便(タヨリ)なきが病ある時、看病せず、乃至道路に病人<六根不具なる人も同じ>あるを見捨てて去ることを制す。[結犯]瞋恨の心は犯ず。[開縁]もしは自ら病むと、代を立てて看病せしむると、食を与え、薬を施すと、彼れ自ら看病人あると、力及ばずして、唯だ慈悲心の起こすと、彼れ自らよく支持すると、自ら急に勝善を修する等は犯なし。[通局]七衆、同じく制す。
【現代的解釈例】<人間関係・生命尊重>出家した僧侶であっても、またお仕事が忙しくとも、一切の疾病(シツビョウ)の人、殊には、両親、家族、親族、身近なお方を大切にし、看病しないことを制する。看病・介護の対象を「福田の第一」とする捉え方はとても大事。