共同体の維持・管理 四十八軽戒[5]不挙教懺戒

 

【呼称の異同】不教悔罪戒、不挙教懺戒、挙罪教懺戒、不教懺戒、不挙懴悔戒、不得不悔罪戒

【概要】戒を犯した者には懴悔すべきことを教え、過失を改め繰り返さないよう教えよ。

【本文】若じ佛子、一切衆生の、八戒・五戒・十戒を犯し、毀禁、七逆・八難・一切犯戒の罪を見ては、応に教えて懺悔せしむべし。しかるに菩薩、教えて懺悔せしめず、共住[クジュウ]して僧の利養を同じくして、しかも共に布薩[フサツ]し、同一の衆と住し説戒して、しかもその罪を挙げて、教えて悔過[ケカ]せしめずんば、軽垢罪を犯ず。

【諺詮】不挙教懺[フコキョウサン]戒第五<挙げて教えて懺せしめざることを戒しむるなり。>一切の犯戒[ボンカイ]の人あらんに、犯(ボン)ぜりと知りながら、勧めて懺悔せしめずして、一処に共住[グジュウ]し、布薩、説戒することを制す。

[開縁]我に五徳なきと、却って過[トガ]をなすべしと知ると、その時節を待つと、彼れ必ず猛利に慚愧し、懺悔して清浄なるべしと知ると、かくの如くの故あって、懺悔せよと教えざるは違犯[イボン]なし。<五徳のこと、下に記すべし。> [通局]出家の二衆<比丘、比丘尼なり>に専ら制す。余の三衆<沙弥、沙弥尼、式叉摩那>と在家二衆<優婆塞、優婆夷>とは、過を見ながら懺悔せしめざれば、また軽罪[キョウザイ]あり。

【現代的解釈例】<共同体の維持・管理>[通局]に、出家の二衆<比丘、比丘尼なり>に専ら制す、とあることに注意し、共同体を良好に維持し、管理するためには、仲間の過失を見過ごしたりすることを制する、と解釈する。ただ、自らを顧みることなく、時をわきまえず、ことばを択ばず、相手の自覚・成長を待つことなく、相手のためにならなければ、咎めることは慎む。

【考察】「共同体」を僧伽(出家僧団)に限らず、家族・親族、学校、会社、国・世界へとひろげて考えるなら、私たちそれぞれは、それぞれの共同体の一員であるとする自覚は、その共同体を正しく良好に維持、管理するためには不可欠であろうと考えます。 合掌