四十八軽戒[44] 不重経律戒(←不供養経典戒)
【呼称の異同】不供養経典戒、不供養戒、供養経典戒、不敬経律戒、不重経律戒
【概要】一心に戒を受け入れ読誦し、身の皮を紙、血を墨、骨を筆として戒を書写して教えを敬え。
【本文】若(なんじ)仏子、常に応に一心に大乗の経律を受持し読誦し、皮を剥いで紙となし、血を刺して墨となし、髄を以て水となし、骨を析(さ)いて筆となして、佛戒を書写すべし。木皮・穀紙・絹素・竹帛にも、また応に悉く書きて持すべし。常に七宝の無価の香花(こうげ)、一切の雑宝を以て箱嚢となし、経律の巻を盛るべし。もし如法に供養せずんば、軽垢罪を犯す。
【梵網菩薩戒諺註】不重経律(フジュウキョウリツ)戒第四十四<経律を敬(ウヤマ)わざることを制するなり。>
経文には、唯だ法を敬うべき由(ヨシ)を説かれたれども、実には三宝を敬わざることを制す。今時の僧俗、仏像を見て礼拝することもなく、あるいは背(ウシロ)を向け、あるいは仏前に臥すもあり。また経巻を穢(ケガワ)らしき座に置き、あるいは打ち重ねて枕とし、あるいは唾(ツバキ)を指の面(オモテ)に行(ヒイ)て打ち返す。かくの如き非法、皆この制に入るべし。また供養は誠を至し、力をつくして供養すべし。力足らずといって供養をば疎慢にして、世事をば重くすること、常の人の癖なり、慎むべきことなり。[結犯]軽慢・懈怠の心あれば犯ず。[開縁]あるいは病、あるいは貧窮にして物なき、あるいは説法・禅定・念誦等に暇(イトマ)なきは犯なし。[通局]七衆通じて制す。
【現代的解釈例】<日常の活動>お仏像の御前を通るときは一礼を行うなど、その本堂内では粗相/麁相(そそう) をすることなく、身を慎むこと。また経本をぞんざいに扱うことを戒める。経本は僧侶にとって修行のための「教科書」(マニュアル)である。
(参照)Web版新纂浄土宗大辞典「不供養経典戒(ふくようきょうてんかい)」