ブログを書いていると、いろんなことが思い出されます。いまはそのひとつをお聞きください。

 

私は40歳代前半、住み込みで、大阪は河内長野の真言宗寺院で檀務のお手伝いをしていたことがあります。当時は、出身大学で非常勤のアルバイトと、そして先生の代理ということで、本山で修行する院生の方々への講義を行うという任務を与えられていましたので、週に一日だけは京都に通わさせていただいておりました。その日は、住職の勤行に送られ、朝6時前のバスに乗り最寄りの駅まで、そして近鉄電車で橿原経由で京都駅、京都駅からJRで最寄りの駅、そこから歩いて本山まで、そこでの講義の後、また京都駅に戻り大学での講義。京阪本線、南海高野線に乗り最寄りの駅、そして赤いランプが灯った最終のバス、お寺に戻るのは9時過ぎになりました。それ以外の日は、お寺で過ごし、檀家さまの月参り、ご法事、組寺さまのお手伝いなどをこなしていました。子どもも奥さんも同じお寺にいたのですが、まったく気にかけてあげることができず、申し訳なく思っています。

 

そこで3年間お世話になって、京都に戻ることになりました。それ以降も、学生さん、院生さんとの講義の担当もあり、またアルバイトをさせていただけるお寺も先生から紹介していただき、何とか口を糊してきました。家内も仕事、家事、子育てに頑張ってくれました。子どもは転校して中学、高校と進学、成長してくれましたが、父親らしいことはなにもしてあげられず、それぞれの抱えていた悩みにも応えてあげることができず、かさねて申し訳ない思いでいっぱいです。そしていまお世話になっているお寺とご縁をいただき、単身、千葉船橋に参りました。

 

私は、いままで自分の好きなことだけをさせてもらってきたのです。両親は無理をして私を大学、そして大学院に通わさせてくれました。資金面では兄にも感謝しなければなりません。ありがとうございます。いまこうして、お寺でのお仕事をさせていただき、また好きな勉強ができるのは、間違いなく、両親、家族、多くの先生方、学生時代の先輩や友人、そしてお檀家さまのおかげなのです。

 

全く個人的な事柄でしたがが、謝罪を申し上げ、感謝の思いをここに記させていただきます。ブログを書き始めて一ヶ月が過ぎました。いろんなら新たなるお方のご支援を感じています。私は、学者ぶって、いい格好をして、ブログを書けるような立派な人間ではないのです。ただこれからも、すべきこと、やれることをするだけなのですが、「なすべきことをなしつくす」ことなどかないません。好きなことだけをまたまたしています。清志郎っぽく「ほんとさ、たしかに」反省しています。

 

学者としての反省は、ここでは触れることができませんでした。ブログを書くことで、業績にもならない私の論文の修正や、いままで先生から教えてもらった大切なことがらについて、ご紹介することで許していただければと願っています。いましばらくは、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。合掌