山崎泰廣先生「空海の教えの核心」『大法輪』2008.4, pp.90-95を読む
「空海の教えの核心」は、真言密教を「弘法大師空海によって完成されえた教え」と定義し、真言密教において重要な教義を6頁のわずかな紙数であるが、もれなく論じたものです。先生の学恩に報いるためにも皆さまにご紹介させていただきます。なお本文に誤りがあるとすれば、責は私にあります。お知らせいただければ訂正いたします。
まず、山川草木、万物のすべては、私たちに宇宙創造の意志(The creative will of the universe)を伝えようとメッセージを発しているとする、法身大日尊による法身説法、そしてその根拠ともなる、人間を含め、万物は共に六大(地・水・火・風・空・識)から構成されているとする六大体大を取り上げる。六大体大説によれば、山川草木、瓦礫といえども、識大(心、意識)が一時的に隠れているだけの状態にあると理解されねばならない。
次いで、「実の如く自心を知る」と訓読され、英訳では、knowing one’s own mind as it truly is「(浄化され)真実(として顕現している、そ)の通りに、自ら自身の心を知ること」と表現される如実知自心の重要性を語り、煩悩こそ覚りの大切な材料であるとことをいう大欲清浄を提示し、悩みと正面から取り組み、悩みの正体を見破ることの必要性を語る。それはそれぞれ『大日経』、『金剛頂経』の中心テーマである。なお心は、阿字観本尊に画かれる蓮華が意味する姿・形を持った有相の心と、月輪で表現される姿・形を持たない無相の心に分析され、その二つが自身、すなわち自己の存在である。
マンダラには尊形、三昧耶形、種字、羯磨の四種があり、それぞれは悟境を視覚的に、具体化して表現したものである。両部大経、両部マンダラの必要性は、「覚りの究極は、実は一つではなく、相反する二つの働き、代表的なものは、蓮華(静)と月(動)、調和と展開、求心力と遠心力などの絶妙なバランスにある」ことを示すことにある。
マンダラの中心にあり、マンダラの全体である、あらゆる功徳をそなえる大日如来と、マンダラの特定の場所に配され、各々一徳をそなえる各尊とを、普門(ふもん)・一門(いちもん)という用語をもって理解するが、その関係性を「普門大日如来はそのままのレベルを保ちつつ(すなわち、法身として状態を保ちつつ)、各々に相応した一門の尊となって示現する」といい、各尊を「普遍的個性(Universal personality)」と呼ぶ。それは私たち現在の状態である自我的個性(Egoistic personality)を破ることによって獲得される。
私たちの求めるものは、このいのちをかけて覚りを求めようとする即身成仏にあり、それを「自己を深め、社会に尽くし、最も質の高い喜びに生きる人間となる」ことであるとし、異なる民族、国家、宗教の意義を理解し、共尊共栄の活力に満ちた世界(「密厳国土」)の実現を目指すのが真言密教であるとする。
そのためにも日々、発菩提心真言(おん・ぼうじしった・ぼだはだやみ)をとなえ、私はいま菩提心を発していることを確認し、総ての存在は宇宙の大生命と繋がって生かされていることに覚醒し、大日如来、各尊である仏の本誓の手助けをさせて頂かんとする三昧耶戒真言(おん・さんまや・さとばん)の実践に努める。そのさい忘れてはいけないのは、父母(家族と自身との関係)・衆生(社会と自身との関係)・国王(政治・経済と自身との関係)・三宝(宗教と自身との関係)四種についての感謝、恩(なされたことを知る)であり、それは人類普遍の真理であるという。
真言密教の修行は、身口意の三密が瑜伽相応した三密加持の状態で行われ、手で結ぶ印は本尊の意志、すなわち本誓を繊細に表現し、口と唱える真言は行者の熱誠を本尊に伝え、そして心、三昧に入り観念を凝らすことをいう。その具体的例として、虚空蔵求聞持法、百光遍照観があり、そして阿字観瞑想法の紹介をもって本稿を結んでいます。 以上の通りです。 合掌